ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

千葉駅

上野駅ばかりっつうのもナンなんで、房総特急も見ようと思い千葉駅でお手軽撮影をしました。

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「さざなみ」(東京~館山・千倉)

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運よく貨物ゲット 無線が載ってまぶたが重そうなDD51

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「あやめ」(東京~鹿島神宮

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荷物電車と「わかしお」(東京~安房鴨川)

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荷物電車、いいですねえ。職員の左腕には青い腕章が。「・・・車掌区」って書いてあります。

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大目玉、冷房なしの113系。非冷房車がまだ残っていました。

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クハ183-1 トップナンバー発見!とりあえず番号だけでも。
形式番号の頭にある赤丸は、横軽対策車の証。協調運転こそできませんが、無動力で牽引されて走ることは可能です。

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東海道のクモユニ74とは趣が異なり近代的な印象です。

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しおさい」(東京~銚子)
「さざなみ」や「わかしお」とヘッドマークのデザインが似ていて、よう区別がつきまへんがな。

北海道のL特急と言えば当時は「ライラック」のみ。しかもモノクラスの6両編成。でもこちらはグリーン車が入った堂々の9両編成。流石に都会は違います。それでも登場時は「食堂車の無い特急なんて」と言われていた気がします。「ライラック」同様に運転距離が150km足らずなので、食堂車なしの許容範囲でしょう。

運転台の貫通扉は、併結運転事の通り抜け用というよりは、地下鉄のA-A基準を採用しているため、非常口としての意味合いが強かったと思います。通勤運用を考慮して特急用車両では初めて2扉を採用したり、簡易リクライニングシートの採用(あまり評判はよろしくありませんでしたが)や循環式の汚物処理装置を搭載したり、また広範囲な運用を考慮し床面高さやパンタ部の屋根高さを低くしたりと、色々な試みがなされました。いい意味でも悪い意味でも特別急行列車を特別でない急行列車に大衆化させた形式です。因みにJR西日本の183系は、全て485系からの改造車なので、オリジナルの183系とは縁もゆかりもありません。

目的とした特急列車を難なく撮影できて、ちゃちゃっと千葉駅を後にしたのでした。あ、ちゃ~んと一旦改札口を出て、東京までの切符を買ってから入りなおしましたよ。

昭和56(1981)年7月11日