安房鴨川で内房線から外房線に乗り換えて千葉へ戻りました。ぐるっと一周したわけですが、外房線はあまり海も見えなかったせいか、写真も記憶もほとんど残っていません。258Mに乗車して12:58発車。
とりあえず、交換する列車があれば撮っておきます。183系は581系で初めて採用された貫通タイプの高運転台とし、従来のボンネット形から脱却しましたが、貫通構造は地下区間を走行するためにA-A基準対応としたため必須の構造でした。東京近郊という特殊性を考慮して特急用車両としては異例の片側2扉として乗降時間の短縮を図り、また特急電車としては初めて簡易リクライニングシートを採用するなどの意欲作でもありましたが、投入された地区での運転区間が短いということで食堂車は用意されませんでした。L特急の大増発、短区間の特急列車新設(急行の格上げ化)により、特急列車は特別な急行列車ではなくなりました。
東京駅のようです。
なんかもう全然ヤル気なしの乗り鉄になってしまいました。まあこんな風にボ~ッと過ごす時間も、時には必要なのかも・・・なんてことは、今では勿体なくて微塵も考えられません。
昭和60(1985)年8月24日
昨日はヤフオクで落札したJTBなどの全国版時刻表6冊が届きました。1987年4月以降のJRになってからのものです。すぐにどうこうというわけではなく資料として手元に置いておきたかったからです。開始価格の600円で落とせたのですが、送料が2,000円近くかかりました。でも1冊当たりでは500円しませんし、状態がとても良好。いい買い物でした。この当時、北海道では天北線、名寄本線、深名線、標津線、池北線、上砂川支線、歌志内線、幌内線、松前線、江差線、そして大夕張鉄道や三井芦別鉄道、釧路開発埠頭、太平洋石炭販売輸送、苫小牧港開発、といった私鉄や専用鉄道、加えて専用線も各地に健在で、斜陽と云われた鉄道輸送とはいえ、まだ活気があったように思います。
無味乾燥の数字の羅列でしかない時刻表も、駅名を見るだけで心が弾んでしまうのは、やはり鉄ちゃんのサガですね。