ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

東戸塚

事前にネットや撮影地ガイド本などで撮影場所を入念に調べてから撮影に臨む人も多いかと思いますが、かつて私の場合は5万分の1の国土地理院の地図を頼りに現地へ赴いておりました。公共交通機関を使う以外は専ら徒歩での移動でしたから、選定を誤るとアジャパー、どうしてくれるんだよ自分。でも不思議と大きく外すことは少なかったようです。やるな俺様。若い頃はとにかく歩きましたから、それで我慢できる範囲内の場所を見つけられたのでしょうね。1日10kmは当たり前、人里離れた山道では、1kmくらい離れた場所に三脚を立てて、行ったり来たりしながら撮影したこともあります。今は100m歩くのも面倒っちい。有名撮影地はお手軽にそれなりの写真が撮れるというメリットはあるけれど、誰が撮っても同じようになりがちなので、凡庸な自分はなるべく避けていました。「これと同じ写真が撮りたい」という気持ちは微塵も巨人もなく、物真似やマネーは好きだけれど、人真似はぜってーイヤでした。

ここ東戸塚を初めて訪れたのも、地図で見当を付けてのことだったと思います。駅の近くなのにトンネルはあるし東海道線横須賀線が合流してるし、電車もブルトレも貨物もバンバン撮れてお得感大盛満載じゃね。
北海道の田舎者には、首都圏の鉄道は複雑怪奇大作戦ってなもんで、どう乗っても目的地に着けそうな気もするけれども、一度迷ったら最後、振り出しに戻って最初からやり直すくらいの覚悟が必要でした。東戸塚も一見東海道本線で行けるように見えるけれども、うっかり湘南色の電車に乗ろうものなら通り過ぎてさらばじゃ、ってなことになりますが、そこはキチンと調べてスカ色の電車に乗っただよ。GW突入初日のことでありました。


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上りの横須賀線と貨物列車がデッドヒート。
日本交通公社の時刻表しか持っていなかったので、貨物スジは全く分かりません。電車の列車番号もメモしていません。陸橋の向こう側が東戸塚駅。見ようによっては直流電機もスカ色?


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振り向きざま、下り貨物列車がトンネルの中から飛び出してきました。ちょうど空コキのところで抜けました。タイミングいまいちだけんど。
この頻発感、流石に東京の鉄道は違うぜ。って、東京じゃないけど、北海道から見たら、関東=東京。青森と盛岡と仙台と福島は隣町。そんな感覚です。

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東海道本線の方に移動して183系の特急「あまぎ」を。781系711系電車を見慣れているので、おでこに前照灯がないというのは何とも物足りなさを感じます。うっかり付け忘れか?なんてね。断面が小さいトンネルがあるので、できるだけ高さを押さえるためのようですが、まあ2個で済むならそれに越したことはありません。この頃は日中には点灯していませんでしたね。

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ふと気が付くと、近所の姉弟でしょうか、線路の向こう側を散歩していました。道路はないようですが、どこから現れたのでしょう。そのままトンネルの方に向かってゆきました。あれから35年、もう二人ともすっかりしっかり中年世代ですね。

それにしても、このカラーネガは現像ミスなのでしょうか、黄色化こそありませんが色ムラがあります。この写真も左下に紫色の縦波のようなムラが確認できますし、2枚目3枚目でも縦方向に紫色の線が見えます。ったく、カラーネガはどーしよーもねーなー。フジもサクラもあさかぜもはやぶさもみずほも・・・ん?

ネガでの撮影はこれでおしまい。この後はポジに入れ替えて、下りのブルトレを撮るため夕方まで粘るのでした。

昭和56(1981)年4月29日