ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

初めての根府川

東海道本線 根府川駅。この駅のすぐ南側に架かる白糸川橋梁は、名にし負う有名撮影地でありました。上路トラスなので、足回りまでばっちりすっきり見ることができました。楽して駅のホームからでもよし、ミカン畑の中の道路から俯瞰でもよし、下の方から見上げるもよし、様々な角度から東海道本線を行く列車を堪能することができました。今では両側に防風フェンスが立ち、往年の景観は損なわれてしまいましたが、安全のためには仕方ありません。

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急行「伊豆」
特急化を間近に控え、残り数日間となった急行運用に精を出します。

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EF58牽引荷物列車
蒸気暖房搭載のEF58は、荷物列車の牽引に大活躍しておりました。ロイヤルエンジンの61号機もさりげなく荷物列車の先頭に立つことがありました。

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EF65牽引貨物列車
この頃の貨物列車牽引の主役はEF60とEF65で、たまにEF66が颯爽と現れました。


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急行「東海」
165系電車による代表的な急行列車のひとつで、JR化後も特急化されるまではこの姿で走っていましたね。夜行の大垣行きにも165系があてられていました。
定期券で横浜へ出て、そこから浜松まで「東海」に乗車した時、車内で乗車券と急行券を買おうと車内を歩く車掌に申し出たのに、「ちょっと待ってて」とやり過ごされてしまい、そんなことが3度ほど繰り返したところで浜松に着いてしまったことがあります。浜松駅で精算しましたが、少し怪訝そうな顔をされてしまいましたよ。

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特急「あまぎ」
東海道本線京口を走る唯一の昼行特急列車でした。往時の「こだま」や「つばめ」などと比較するのは酷ですが、やはり風格という点では151系時代の特別急行列車には及びません。見たことないけど。

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荷物電車
北海道では荷物気動車しか使われていませんでしたから、荷物電車は大変新鮮に見えました。しかも、旅客列車に併結される以外にもこうして単独で走っているところがまた趣がありました。

ところでこの白糸川橋梁は二代目になります。初代は大正11(1922)年に完成しましたが、翌年、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で落橋してしまいました。被害はそれだけにとどまらず、駅裏の山が地滑りを起こし、その土石流が、進入してきた下り旅客列車とともに駅舎もろとも海へと押し流し、多くの命が奪われました。(その頃、今の御殿場線東海道本線であり、国府津~熱海は「熱海線」と呼ばれていました。)
現在の二代目は大正13(1924)年に竣工したもので、トラス橋の部分は初代の設計図で作られたそうです。列車が完全復旧したのは大正14(1925)年だったといいます。
昭和3(1928)年には熱海まで電化され、登場したばかりの国産初の大型電気機関車EF52が、客車や貨物を牽引して、この白糸川橋梁を颯爽と渡っていたのでしょうなあ。

この後も何度かこの場所を訪れましたが、153系電車やEF15牽引の小貨物列車、EF58牽引お座敷列車など、味わいある列車もこの路線の魅力でした。

昭和56(1981)年9月27日