ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

何故か熱海へ

東戸塚へ行ったその一週間後、晴天に誘われて出かけたのでしょうけど、なぜか熱海へ行ってました。さて、何が目的だったのか。さっぱり思い出せません。

東横線の乗換駅で、通勤にいつも利用していました。ちょうど貨物列車が通過してゆきました。当時は元住吉駅の近くに住んでおったのです。元住吉といえば、今日の「半分、青い。」では、元住吉監督が自殺を図りますね。(ネットによる。)挫けるな!斎藤工
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この頃は武蔵小杉駅は橋上駅への改築工事中で、跨線橋はご覧の通りシートに覆われています。その向こうにある橋梁が東急東横線の高架橋です。
それにしても酷い写真だこと。

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川崎駅
川崎から鶴見まで、いつも通勤に利用していた京浜東北線103系

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南武線には101系が活躍中。通勤時間は50分ほどで、首都圏では恵まれた通勤環境でした。

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横浜駅でしょうか。元特急用グリーン車のサロ110-351(←サロ489-1)とサロ110-301(←サロ181-1001)が並びますが、301号は181系だったので車高が低いです。
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サロ110-301の車内
何とも中途半端な撮り方です。車番が見えればよい、程度の意識だったようです。

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横浜駅。荷物列車が通過します。通常は、東海道貨物線を走るので横浜駅は通過しませんが、一部の荷物列車だけはここを走っていたようです。

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荷物電車のお通りです。

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三島駅に到着しました。駅の外へは出たものの、何にも用事はありません。駅に戻って先へ進みます。

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ホームに入ると荷物列車が停車中でした。牽引機はEF58 48とメモ書きしておりました。それにしてもつくづく酷い写真です。良い子のみんなは真似をしないように。

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そしていきなり熱海駅です。長野運転所の12系お座敷車「白樺」が通過してゆきました。慌てていて、こんなんしか撮れませんでした。

熱海で撮った写真はこれだけですぐに戻ったようです。途中、二宮で下車して、夕方のつまんない写真を撮った記憶はあります。これ以上酷い写真を載せるのは犯罪に等しいので割愛させていただきますね。

昭和59(1984)年1月29日