過去記事とだいぶ重複していますが、写真は多めに貼っておきます。
同じ学校・学年だけれどもクラスの違う鉄友2人と一緒に、根室本線の撮影に出かけました。まだ石勝線開業前のことで、滝川~落合間には特急「おおぞら」や急行「狩勝」「ニセコ」、そして多くの貨物列車が行き交い、まさに今の石勝線の役割を担っていました。
まずは赤平で下車し、幌岡信号場方面に向かい、空知川橋梁の見える場所に来ました。
13:58 幌岡(信)←赤平 上り「おおぞら2号」
14:26 幌岡(信)←赤平 上り貨物
DE10 1740
DE10牽引の貨物列車も走っていました。かつての9600に代わり、駅での入換も兼ねての運用だったのでしょう。
釧路行きの437Dに乗車して芦別まで移動しました。広い構内にはDD51牽引の上り運炭列車が発車を待っていました。
我々が乗車してきた下りホームに停車中の列車の横を、下り「おおぞら2号」が颯爽と追い抜いてゆきました。ちょっと癪。
15:25頃 芦別駅 437D・下り「おおぞら2号」
16:10頃 三井芦別鉄道 山の手町~高校通り
突然現れた三井芦別鉄道のDL。どっちからどっちへ向かっていったのかも覚えていません。
芦別川の橋梁付近です。道道115号線からの横狙いも考えたのですが、なんかしっくりこなくて線路際にへばりついた模様。
根室発、函館行きの上り急行「ニセコ2号」です。所要時間は14時間35分。この当時は臨時急行「すずらん」(釧路~函館)なんている列車も走っていました。う~ん、カオスやな。
やって来るから一応は撮ってはおくけれども、全然気持ちが盛り上がらなかった普通気動車列車。まあ今ならどんな列車もしっかり気合を入れて撮るだろうけれども。
レールが4本もあって、4線軌条みたい。外側の2本が、列車が脱線した際に大きく線路から外れない様にするための防護レールだと思われます。橋梁からずっと伸びています。
同行の二人が前にいます。
荷物車を連結した普通の姿の鈍行列車。時代を感じさせます。
このまま上芦別まで歩き通して、そこから富良野まで乗車し、富良野駅で夜を明かすのでした。
昭和53(1978)3月24日
その日の晩の記事です。