昭和52(1977)年3月3、4両日、大学入試が無事終わり、5日には室蘭本線の御崎駅に行き、日本製鋼のS-304を撮影。更に7日には苗穂に行ってきました。受験から解放されて、悠々と撮影です。
C55 50
小樽で保存される予定の機関車。本来は30号機が保存されるハズだったのが、どうした手違いか、30号機は解体されてしまい、その代わりに解体前だった50号機が保存されることになりました。でもこの50号機は最初は30号機のナンバーが取り付けられたらしく、でもそれじゃ変だろという指摘を受けて、ちゃんと50号機のナンバーで保存されることになった次第。でももし30号機が保存されるのだとしたら、流線形に改造して欲しいと願うのはファンの勝手でしょうか。でしょうね。
C12 6
手宮で入換をしていた機関車です。保存が決まり里帰りです。
上の2枚はどこで撮影したんだか、覚えていません。背後に今の運転所が見えますが、どうにも方向が分かりません。この前にはモノクロでキハ08を撮影しているので、工場か機関区の北側なのでしょう。
上り特急「いしかり」 苗穂←白石
豊平川に出ます。まだマンションがなく、すっきりポンです。
485系電車は北海道の雪と寒さには歯が立ちませんでした。80系気動車は全国で活躍していましたが、道内の車両は何がしかの対策を施していたのでしょうね。485系よりも厳しい環境の路線を走っていましたが、さほど酷い話は聞いていません。
何を運ぶタンクでしょうか。タンクの形式が分からないし、さっぱりです。
コンテナ貨物や運炭列車なども、この当時は普通に豊平川を渡っていました。
東札幌駅もありましたし、この10年後に国鉄が消えるだなんて夢にも思いませんでした。
苗穂駅から帰宅します。工場にはD51 70を始め、何両かの廃車体が並んでおりました。北海道に残った蒸気機関車は全国から引く手あまたで、多くが保存されましたが、その後の保存がいい加減で、ボロボロになった末に解体されたものが少なくなかったと聞きます。維持管理って人手もお金もかかるので、安易にできるものではありません。ノウハウも防犯も必要ですしね。
この10日後、ハッピーエンドで浪人生活を終えたのでした。
さあ、好きなだけ鉄道写真を撮るぞ~~~!ちゃんちゃん、と。
おい、ちゃんと勉強しろよ、自分。