ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

貨物列車 新琴似駅発車

小・中学校の通学路、通称新琴似4番通りは、札沼線 新琴似駅のすぐ南側を東西に若干右下がりで走っております。新琴似通りには1番通りから6番通りまであり、この4番通りが一番交通量が多く、また道幅も一番広く、それは今現在でも変わりません。いや、今は1番通りといい勝負かもしれません。

夕方には石狩当別方面から貨物列車がやってくるのですが、札幌からの下り旅客列車と交換するため、新琴似駅で停車をしていました。(貨物も扱っていたと思います。)実際の線路の有効長がいかほどあったのかは知りませんが、貨物が多い場合には有効長内に収まらず、前何両かの貨車を切り離して留置線で待機しておりました。

まあ、そんな光景を遠目に見て、4番通りと3番通りの間に広がる空き地で撮影したのが下の写真です。
イメージ 1
一昔前ならどこにでもあった草っぱら。柵も「私有地につき立入禁止」なんて立て札もありません。昆虫採取にもいいかも。
あまりにオーソドックスでこれといってホメる点もありませんが、こういう何気ない日常的な光景が個人的には好きです。まあ、自分の体験なのだから当たり前と言えば当たり前ですけど。イベント列車も悪くはありませんが、一過性の話題には何か虚しさを感じる年頃。カシオペアクルーズにはまるで興味がわかず、キハ261系変てこ塗色は好きにすればって感じだし、14系客車が大井川鐡道に行ったとか、陣屋町甲種輸送されたとか後で知っても、だからあ~と歯ごたえまるで無し状態です。あくまで個人の気持ちに過ぎず、否定してるわけではないので誤解なきようよろしく。
本当は、飯の種(YouTubeのことではありません)に撮影しなくちゃという切迫感を持たねばならない立場なのですが、もう半分どうでもよくなっています。それよりも、これまでの記録を整理せねばという思いがあまりに強くて、今の事は若い人たちに任せちゃえ。

ということで、今日も昭和48年のカラーネガを少しスキャンしちゃいました。黄色化はありません。

昭和48(1973)年6月13日