過去の記事とダブる上に、一部、アップ済画像の再掲となります。吹雪だから撮影に出かけたのか、吹雪だったけれど撮影に出たのかはもう忘れましたが、おそらく前者だったでしょう。
15:10頃 篠路→新琴似 8692列車
タムロンの80~250mm/f5.6~8のズームレンズを使っています。絞り開放気味なので周辺光量不足が目立ちます。当時はそういうことに無頓着でした。
新琴似駅に到着です。
随分と掛員がいます。
一番端にある専用線を伝って奥へと進みます。物流にはとんと関心がなかったのでよく分かりませんが、貨物の輸送品は米などの農産物が主流だったのでしょうか。それと宅急便などありませんでしたから、一般家庭の荷物も扱っていたことでしょう。おそらく過去にはチップや暖房用の石炭も運んでいたと思われます。
冬の入換作業に従事する誘導掛は大変です。
返空のタンク車は4両です。形式はよく分かりませんが、タキ3000とか何とか。残念ながら貨車単独ではたったの1両も撮影しておりません。奥に見える木造の建物は官舎だったと思います。確か小学校の頃の同級生が住んでいました。
ここでしばし休息。対向の列車待ちです。編成が長くなってしまうので、本線に戻ることができません。
前照灯を点灯したのは私へのサービスではなく、雪が強く降り出してきたからだと思います。
ここまで、ASA1600に増感してます。なので粒子はとても粗いです。この後は50mmのレンズに交換してASA400で撮影です。
15:30頃 629D到着
629Dの先頭はキハ21の100番代で、この当時、道内唯一のオールロングシート車でした。業務用カーテンで客室内を仕切って、簡易荷物室を設けることもありました。
改札口横には沢山の荷物が置かれています。貨物列車から下ろしたものでしょうか。駅構内の線路有効長はそれなりにあるのですが、構内踏切を乗客が通行するため、貨物列車はそれをかわして停車せねばなりません。
新琴似駅構内は線路が全部埋っています。陰になって見えませんが、貨物列車の向こう側には貨物ホームがあり、そこに貨車が留置されていたようです。
下り本線と専用線とを結ぶ渡り線は、早朝の下り貨物列車が、タンク車を引き渡す時に使ったものだと思います。(よく覚えていません。)
左端に写る三角屋根の建物が「北海道石油瓦斯株式会社」です。
デコボコ編成の貨物列車。だだっぴろい空き地は格好の遊び場でもありました。
タンク車を連結します。
編成を組むと、機関車はこんな位置になってしまいます。これではモロに対向列車が衝突してしまいます。
発車位置まで後退して発車時刻を待ちます。機関車に向かって右側からは貨物ホームへの線路が伸びており、貨車が留置されているように見えます。
定刻、発車です。かつて牽引機であったC11は、豪快にブラスト音を響かせ、煙を盛大に吹き上げて発車したものですが、それに比べるとDD13は静かなものです。
新琴似小学校、中学校の下校時間帯だったので、この光景を目にした児童・生徒は多いのではないでしょうか。今やとっくにおじさんやおばさんになっているでしょうけど。
昭和52(1977)年12月19日