ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三川駅、古山駅

もう徹夜なんてするもんか、と絶叫してからおよそ一か月が経った頃、再び追分駅で徹夜生録をしてしまった私でありました。しかし、その時のことはまた別の機会に譲るとして、その翌日の撮影が今回の写真です。

イメージ 1
三川駅
もはや列車写真とかSL写真というくくりから外れて、何となく駅構内といった風情であります。
まだ来ていなかった駅なので来てみただけのことですが、この当時は三川駅にもしっかり駅員がいたので、駅員に断ったり入場券を買わずに済む構内外れで撮影したっちゅうわけです。

イメージ 2
振り向いて、列車の通過を撮影します。立ち位置は貨物ホームで、かつてはちょっとした駅ならどこにでもありましたね。向こうの方には何やら貨車が何両も留置されておりますが、一体何でしょう。今頃気づきましたよ。

イメージ 3
これが三川駅の駅舎です。通過していった列車も入れてます。つか、本人は列車をメインに撮影した積りだったのかも。

イメージ 4
古山駅
隣の駅に移動し、ここも初下車の駅です。駅舎から離れていたので、無断でホームに上がって撮影こいてしまいました。下り列車の到着です。下の写真で分かるように、柵など一切ありませんでした。でもこれだとズルできちゃいますね。もちろん、私はそんなことはしちゃいませんよ。って、必死になるほどに怪しまれるって。

イメージ 5
古山-由仁間は単線なので、下り列車が停車し、上り列車が通過するところです。
三川駅もそうでしたが、今と違ってホームに跨線橋はありません。今より列車本数が圧倒的に多かったのに、駅員がいたので安全上の問題はなかったのでしょう。跨線橋は、撮影する際には恰好の足場になりますが、列車の利用客にはちっともやさしくありません。
木製の掲示板には一体何が貼られていたのでしょうね。「おたずねもの」とかではないと思います。

当時の状況など、もうほとんど覚えていませんが、駅撮りしたのは徹夜明けで体がふらついていたのと、重い録音機(友人から借りたデンスケ)を抱えていたのであまり動きたくないという事情があったからでしょう。でも、こうした生きた駅の姿は、記録として見れば十分アリではないでしょうか。欲を言えば、駅員さんが居れば言うことありませんけど。

イメージ 6
あ、ちっこいけど、駅員さんがホームに現れましたよ。

昭和50(1975)年9月24日