ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

夕張線

昭和50年に入ると、蒸機天国と言われた道内の路線からも次々と蒸機が消えてゆきました。標津線釧網本線石北本線広尾線士幌線、宗谷本線、名寄本線、瀬棚線・・・。そして9月時点で残された線区は室蘭本線の室蘭~岩見沢と夕張線、そして根室本線の滝川~芦別だけとなりました。蒸機の配置は滝川機関区、岩見沢第一機関区、追分機関区の3か所だけという惨状。

そんな中、夕張線へ出かけることにしました。
夜明け前、雨降りしきる中を、およそ1時間ほど歩いて札幌駅に到着すると、中はいつもより人が少ないではありませんか。どうしたのかと辺りを見回すと張り紙が目に入り、読んでみると、妹背牛~江部乙間で水害があって函館本線は不通なのだと。
何ということでしょう!と絶望しかかったのだけれども千歳線室蘭本線、夕張線には影響がないようなので、とにかく予定通りに一番列車に乗車することにしました。
いつもは沼ノ端で岩見沢行きの列車に乗り換えるのですが、この日は苫小牧まで出て、そこから岩見沢行きの列車に乗り換えました。

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苫小牧駅
もう雨は上がっていました。気分も少し晴れ晴れとしてきて、これから乗る223列車がC57 135号機に牽かれて到着しました。ここで機関車は給水を行うため、しばし停車をします。

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その間に、岩見沢からの222列車が到着します。
撮影後、すぐに223列車に乗車して追分に向かいます。

ダイヤの乱れは杞憂に終わって、無事に清水沢に到着しました。
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清水沢駅
夕張線より先にDL化された大夕張鉄道の貨物列車を偶然撮影できました。
撮影している場所は踏切です。この当時はまだ道路がろくに整備されておらず、駅裏の道路は狭い砂利道で、夕張方面にはつながっていませんでした。

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清水沢→鹿ノ谷
清水沢から鹿ノ谷方面へ、道道38号線を歩いてゆきます。これといったポイントが見つけられずに、トンネル付近で撮ることにします。上り勾配っぽいので煙を期待したものの、結果はご覧の通り。運転上手だわね。
鹿ノ谷駅には乗車する列車の発車ギリギリに到着し、沼ノ沢へ向かいました。今にして思えば、この当時だと鹿ノ谷にはまだ夕張鉄道の蒸機が廃車ながらも残っていたかもしれません。でも、それを確認する余裕なんかは全然ありませんでした。

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沼ノ沢駅
紅葉山との間でつまらない写真を撮り終え、沼ノ沢駅に戻ってホームでもう一本の下り貨物を待ち構えていると、夕張方面から予期せぬ上りの単機がやってきました。今日は雨の中、意を決して撮影にやってきたものの、あまり成果はありませんでした。でもこれで幾分得した気分になりました。なんて調子に乗っていたら、その後の下りの貨物はしっかりウヤってくれたのでした。

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229列車 栗山→栗丘

何だかな~という冴えない結果ではありましたが、それは毎度のことです。追分から岩見沢へ向けて乗車した汽車に乗って、ウツな気分もだいぶん晴れたのでありました。

昭和50(1975)年9月7日