写真撮影からビデオ撮影に完全に移行した後でしたが、この時はしっかりちゃっかり写真を撮っていました。なんでだろ?しかも午後からの撮影です。普段撮影する時には早朝からと相場は決まっているのに、この日は気紛れだったのかもしれません。
まずは、しばしば訪れていた清水沢駅です。残雪がまだ結構多いです。馴染みの駅員さんに断ってホームに入ります。
ホーム先端から、お約束の腕木式信号機を入れて。進行現示の場内信号機は電柱に重なっており、ちょっと分かり辛いです。
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フィルムはコダックのネガカラ―でASA400。そう昔のことではないと思っていましたが、もう19年も前なんですね。フィルムはキズだらけの上、乳剤剥離が点々と。ネガは本当にキズ付きやすくてイヤになります。ポジならこんなことはないんですけどね。
夕張から列車が戻って来るまでの間、事務所にお邪魔して閉塞器を見せてもらいました。タブレットは三種の三角です。
上り列車も腕木式信号機を入れて撮りますが、あまり目立ちませんね。下り列車と同じく、2番線に到着です。1番線にはレールの錆落としのために、1日1本だけ上り列車が着発していました。
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後部オーライ、と安全確認をして列車を送り出します。左手にはスタフ(一種の丸)の入ったキャリアが確認できます。
「鹿ノ谷へトイレ掃除に行くけれど、一緒に付いてくるかい?」と誘われてホイホイ車で付いて行きました。この頃、鹿ノ谷駅のトイレは現役で、その掃除は清水沢駅の駅員さんが行っていました。
鹿ノ谷駅に到着すると、駅前に鯉のぼりを取り付けている最中でした。噂には聞いていましたが、まさかその場に立ち会えるとはラッキーです。トイレ掃除の駅員さんをほっぽって、その様子をビデオに記録しました。トイレ掃除を終えると駅員さんは清水沢駅へ戻りましたが、私はそのまま残って、穏やかな早春の陽射しの中、駅舎の中でぼんやりと列車を待ちました。
16:25 2637D 駅舎の左にちろっとキハ40が写っています。青空を背景に、鯉のぼりは元気に泳ぎます。2両編成の列車からは高校生ら数人が降りてきました。土曜日なので、クラブを終えての帰りだったのでしょうか。
今度は跨線橋の上から上り列車を迎えます。
かつては夕張鉄道の鹿ノ谷機関区と何本もの側線があった構内。奥に見える2棟の建物は、機関区の車庫だったもの。
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無理くり鯉のぼりを入れて。乗降客はゼロでした。鹿ノ谷駅の撮影ではビデオも回しての撮影でしたから、ちょっと忙しかったです。これですっかり満足して、清水沢駅で挨拶してから帰途につきました。
因みに、鹿ノ谷駅のトイレですが、その後、駅前にさわやかトイレが設置されたことで使用停止になりました。
この日から20年後に夕張支線が廃止されるとは、この時は誰も考えていなかったでしょうね。
平成11(1999)年4月17日