ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

昭和50年のクリスマス・イヴ

お昼に清水沢から紅葉山へ戻り、朝方撮り逃した夕張川を渡るシーンに再度挑戦します。
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紅葉山(現 新夕張)→沼ノ沢 ランボードが白なので、603号機というのが一目瞭然です。
朝方の失敗というのは何ともドジなミスで、うっかりセルフタイマーをセットしてしまい、せっかくのシャッターチャンスを逃すというものでした。
この日はとにかく寒かったので、薄手の手袋の上に更に厚手の手袋を重ねておりました。この厚手の手袋が、カメラのレンズ脇にあるセルフタイマーのレバーを引っ掛けてしまい、それと気づかぬままここぞという瞬間にシャッターを押したら「10秒待ち」状態となり、せっかくのチャンスをフイにしてしまったというわけです。
朝方の順光での撮影を失敗したのは残念至極でしたが、こうした半逆光も悪くはありません。あくまでも個人の感想です。

そのまま沼ノ沢まで歩き、駅に立ち寄ると北炭真谷地専用線のDLが発車待ちしておりました。
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沼ノ沢駅
過去には4110や9600といった力持ちが活躍していたそうですが、それに比べてこの機関車は何と小柄なのでしょう。ディーゼルおそるべし。

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沼ノ沢→南清水沢 241号機牽引

日中撮影できる最後の列車を撮り終え、沼ノ沢から追分に戻ります。

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追分駅
追分駅の待合室には銀箱を抱えた多くのファンが静かに佇んでおりました。その雰囲気がいたたまれなくて、つい氷点下の外に出てしまいました。構内では入換用の9600がいつものように蒸気を上げており、寒いだけにボリュームがあります。
沿線をぶらぶら、散歩がてら体を温めますが、寒気は半端ありません。朝方、セルフタイマー事件の犯人である厚手の手袋も、その効果は半減です。漆黒の空には、満点の星々がおそろしいほどに瞬いています。

これまでの撮影行の記憶を呼び起こしたり虚無のような心境になったり、底の凍る長靴で足踏みをしながら何時間を過ごしたことでしょう。警備員の人が現れ、いよいよ最後の列車が到着します。
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追分駅←東追分 241号機
結果的には惨敗。どこが最終列車?と突っ込まれても仕方のない出来です。ご法度なフラッシュ攻撃してるしね。

列車が駅に到着するのを遠くから見ていると、フラッシュがさく裂しています。おそらく機関車の先頭部は大混雑でえらい騒ぎになっていることでしょう。しかし帰りの列車の発車まで30分しかなく、それを見学したり余韻に浸っている余裕はありません。濡れた頬を拭いながら、速足で駅に戻るとすぐに改札を潜りDD51が牽引する岩見沢行きの列車に乗り込みました。幸いにも車内は空いていました。駅に残っている人たちは最後まで見届けるのでしょう。白熱灯の赤暗い車内で、様々な思い出がぐるぐる回り通しでしたが、いつしか蒸気のぬくもりに包まれて眠りに着いてしまいました。
岩見沢で乗り換えた711系の車内は一転してまぶしいほどに明るく、感傷に浸るのを許さないかのようでした。札幌駅に到着したのは日付が変わる3分前、すでに地下鉄は最終が行った後で、これから家までおよそ一里を徒歩で帰ります。携帯ラジオを点けると、深夜放送ではパーソナリティーが灰皿を投げながら受験生を応援していました。大学受験まであと2ヶ月、私は受験生。


最後の運用に就いたD51は1086号機、465号機、603号機、241号機の4両です。けれどみんな火災事故で燃えてしまいました。

昭和50(1975)年12月24日