新聞記事が目に飛び込んできました。士幌線の糠平~十勝三股間が休止になると。
蒸機時代に、帯広の隣の木野駅にたった一度しか行ったことのない士幌線でしたが、その新聞記事を目にした時にはちょうど学校が冬休みに入っていたこともあってか、無性に行きたくなりました。で、「からまつ」の乗客となっておりました。
帯広から一番列車に乗り糠平で下車。そこから線路伝いに十勝三股方面に歩いてゆきました。途中途中で撮影しつつ、陽も落ちて腹も減り、いい加減へたってきた頃に幌加駅の灯りが。
無人駅ですが、かつては駅員もいて賑わいを見せた時代もあったことでしょう。周辺には家らしい家もなく、なんでこんな所に駅があるの、といった感じでした。
ここから下り最終列車に乗って隣駅である終点の十勝三股へ行きました。
かつてはこの駅から上川へ抜ける計画もあったそうです。北海道鉄道敷設法により全ての線路が敷設されていたら、鉄ちゃんにとって、どんなに素晴らしい世界が広がっていたことでしょう。線路を辿るとそれが北海道の輪郭を成したはずです。
駅周辺を歩く余裕はなく、駅の中だけで撮影してました。別れを惜しむ数人の鉄ちゃんがおり、その中に、いつも情報をくれる同級生もおりました。
その同級生と一緒に最終帯広行きに乗車しました。何を話したかなんてもう覚えていませんが、その日はろくに食事をしていなかったので、とにかく腹が減って仕方がなかった印象だけが残っています。
同級生や他の鉄ちゃんは、車掌さんから記念の車補を買い求めていましたが、私は記念的なものにあまり興味がなかったのでそういうお買物をすることなく、写真という宝だけで十分でした。最終列車に乗車したのは結果的にそうなっただけのことであり、それに価値は求めません。人の価値観はそれぞれなので、それについてあれこれ言う気はありませんが、私は一番とか最終よりももっと重要なのはその間だと思っています。一度もまともに撮影していなかった士幌線でようやく撮影するように背中を押してくれたのが「休止」だった、それだけのことです。
因みにカラーネガの黄色化はこの頃から始まっているようです。
昭和53(1978)年12月24日