ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

ドキドキブルブル

突然、汽車の写真を撮りたくなって、居ても立っても居られなくなりました。
苗穂機関区に行こうか。で、行きました。
事務所の場所なんか知らないし、ま、適当に行ってみよ~っと。

などと軽口を叩くほどの度胸があればいいのですが、今でも小心者な私。ましてや中坊の頃は人見知り度100%の濃縮ジュース。って、意味分からんぞ。

苗穂駅を出て左に折れ、踏切を渡って少しゆくと「苗穂機関区」の看板が見えました。木枯らしなんてもんじゃない、雪混じりの冷たい強風に震えながら、しばし機関区入口の前でビビりっておりましたが、ここでひるんでいたままじゃあ男じゃない。ちょっと浪花節入りで腹を決め、中に踏み出しました。

事務所は案外簡単に分かりました。ガラガラと木製のドアを開けて中に入り、おそるおそる「あのう~、汽車の写真を撮りたいんですが・・・」などと今にも死にそうな、か細い声で誰に言うともなく言ったと思います。すると年配の人が近づいてきて「こっちで記帳して、でヘルメットかぶってね」と対応してくれました。

記帳を終えてヘルメットを被ると、何だか特別待遇を受けているような気分になり、なかなかご機嫌です。先ほどまでのドキドキガクガク感は一体何だったのか。こういうのを杞憂というのね。

いざ撮影に外へ出ますが、対応してくれた職員さんが同行します。え、一緒なの。
正直、一緒だと見張られているというよりも、早いところ撮影を終えなくてはいけないというプレッシャーがかかってしまうんです。

外は相変わらず凍りそうなほど冷たい風がびゅんびゅん。こりゃ、本当に撮影をさっさと終わらせないと、自分も凍ってしまうかも。そこで、そそくさと撮影です。

イメージ 1
3月の時以来、C5738に再会です。

イメージ 2
9600にはゼブラ模様が多かったです。蒸機ファンには敬遠されていたようですが、私はそうでもなかったです。クルクルパーも同様。ファン歴が浅いせいか、現状を受け入れやすかったのかもしれません。でも唯一、除煙板の切り詰めはあまり好きではありませんでした。カッコわり~と思っていたので。

イメージ 3
気温が低いため蒸気が立ち込め、なかなか機関車の全容が拝めません。
この他の写真はど~しよ~もない物ばかりなので割愛です。

短時間ながらも、後ろの職員さんの視線を感じつつ、ちゃっちゃと撮影を進めますが、ただでさえ暗くて露出が取れないところにもってきて、寒さで体はブルブル、指はかじかんで思うように動かないし、もうだめぽ(当時はそんな言い回しはありませんてば)。でもそれなりの枚数を撮ったからもういっか、てな感じで30分かそこらで上がったように思います。職員さんも寒そうだったし、早く自分の仕事に戻りたかったでしょうからね。

事務所で職員さんと何か話したような気がしますが、もうさっぱり忘れました。
御礼を言って事務所を後にし、許可をもらう要領も分かったことだし明るい未来はボクのもの、ルンルン気分で足取りも軽く苗穂駅に向かったのでした。

その数日後、ワクワクしながらDPE屋から上がった写真を見て愕然。全部露出不足の上、ほとんどがブレていました。しかも、フィルムはキズだらけ。

欲望のままに突っ走ると、ろくなことにならないもんです。

昭和45(1970)年12月26日 苗穂機関区