ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

9678と19619

田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。(リンク先の田中泰三さんとは関係がありません。)

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

9678 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

19619 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

 

両機関車とも顔の画像はありません。9678は九州から、19619は北海道から転配されたというのは対照的です。炭水車の表情が異なっており、リベットの有無、梯子の位置と形状、電線管の形状、右側後部標識灯支持金具の位置などが目立つ差異でしょうか。両機関車とも左側ステップの手摺が共通で、なるほど、これなら安全安心です。入換中に撮影もできそうです(笑)。

 

撮影者である田中泰三さんは国鉄職員ということもあって、全国各地の機関区で機関車の写真を数多く撮影されています。羨ましい限りですが、SAMPUKU爺様のように高校生でありながらも各地の機関区巡りをされたファンもいらっしゃるので、要は気持ちの問題でしょう。「行くぞ」「撮るぞ」という固い意志と準備さえあれば、それだけの成果を挙げられます。

昭和40年代は、機関区によって対応は異なりますが、いきなり機関区の事務所を訪れても、帳面に記帳さえすればすんなり撮影させてくれるところが幾つもありました。人見知りで気後ればかりの私でさえも、中学1年生の時に「蒸機を撮影したい」一心で苗穂機関区の門をくぐり、事務所を訪れた時にはもう心臓が破裂しそうなほど緊張したものです。でも機関区の職員の方が親切で、やさしく対応してくれたお陰で、それから何度も訪れたものです。しかし蒸機から部品の盗難が相次ぐようになると「安全のため」という理由で機関区での撮影は禁止されることとなりました。それが解除されたのは苗穂機関区から蒸機がいなくなった後で、隣の工場に留置されている錆びた蒸機と機関区に憩うDD51に向けて「つまんね~」などと思いながらシャッターを切り、それが苗穂機関区最後の訪問となりました。