ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

何度目かの苗穂機関区

苗穂機関区詣でに味を占め、一度だけですが級友たちを5,6人ほど引き連れて、ぞろぞろと行ったこともありました。その時は引率者らしく撮影はなし。っておい!撮影しとけよ!

やっぱり苗穂機関区へ行ったなら撮影せにゃああかんでしょ。
ということで、一人で行ってちゃんと撮影してきた時のものをアップします。

イメージ 1
相変わらず漠然としたフレーミングながらも、ちょっとはマシになっているのではないでしょうか。

イメージ 2
変形機です。ナメクジを標準化改造しました。なんで1両だけ?ナメクジは軸重のバランスが悪いということだったようですが、運用に困るほど悪いわけではなかったということでしょうか。煙室前端が角ばっているのも特徴です。二桁ナンバー機であっても86~90号機は標準形なので、ドーム前端が垂直になっている点を除けばそう違和感はないかも。

イメージ 4
54号機とは1番違いですが、やはりナメクジとそうでないのとでは全然印象が違います。北海道にはナメクジが多かったですね。4、11、13、15、24、27、38、47、53、54、55、59、60、62、64、68、70、83、96と、私が見たナンバーだけでもこれだけありました。95両中19両ですもん。

イメージ 3
C58はD51の弟のような雰囲気です。千歳線の補機運用がメインなので、釧網本線のC58のように脚光を浴びることはありません。

イメージ 5
この時はまだ普通に黒ナンバーだった165号機です。

イメージ 6
除煙板の切り詰めが行われていません。由緒あるお召し牽引機だったことと何か関係があるのでしょうか。切り詰めしていないと斜め横から見た時に正面のナンバーが見えにくいです。

イメージ 7
ネガに何やら汚れがついております。大事に扱わなかった証拠ですね。こら!自分!
スノープラウを標準装備しているのが北海道機の特徴でしょうか。そのせいか堂々とした雰囲気が漂います。

イメージ 8
給炭槽で炭水車に石炭を積み込みます。右後方の建屋は貯炭場です。蒸気機関車は燃料補給もダイナミックです。他にも灰を落としたり給水したり油を差したりと、これだもん、蒸機は世話が焼けるわけです。こうした機関区での作業をもっと観察して撮影しておけば、などと今更思ったりするわけですが、後の祭りですね。

昭和46(1971)年11月23日