ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

蒸機時代最後の苗穂機関区訪問その1

中学3年生の夏休み、特にすることもなく、ふらりと苗穂機関区へ。
高校進学のことはあまり考えていなかったかも。

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苗穂機関区にはただの1両もD51の配置はないのに、いつもナメクジが出迎えてくれます。初めて見るナンバーです。

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C11と組んで転車台に向かうお馴染の機関車C57 57。こうした重連での移動はちょくちょく見られました。時には三重連ということもありました。

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転車台で方向転換した後、車庫に入りました。手前右のごちゃごちゃは敢えて画面に入れたものでしょうか。ん~邪魔。


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車庫内で6号機とお尻を並べます。6号機は和歌山から4月にやってきたばかりです。状態がいいので、北海道で使い潰します。こうした転配は蒸機終末期の北海道ではよく実施されました。つまり北海道の検査を迎える機関車を廃車にし、検査まで期間の残っている道外の機関車を北海道へ持ってくるということです。ですから、北海道は蒸気機関車の墓場などと言われたりもしました。

昭和47(1972)年8月6日