ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

中体連の帰りに

中学生の時分はおそれおおくも陸上競技短距離走をやっておりました。その頃の北海道は全国的に陸上競技の弱者で、その中でも大した記録は出せず仕舞いな私でしたので、気の入れようも弱いこと弱いこと。
その日は陸上の中体連(札幌地区だったんでしょうねえ)がどこかの学校のグランドで行われ(場所、忘れた!)平常運転よろしく惨敗に終わったわけですが、そこからの帰り道、なぜかしら桑園駅から帰宅しております。その学校ってそんな通り道にあったのかしら?

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桑園駅に佇むC57 57。南側の道路から撮影しています。右側が札幌、左側が琴似になります。
C57は入換にでも来ていたのでしょうか。C57を入換に使うなんてあまり聞いたことがありません。苗穂にはせっかく9600があるのに。

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桑園駅跨線橋から。前方が札幌駅方面になります。
長~い跨線橋の途中から見た駅構内です。右には専用線が何本もでています。輸送本部の右には入換用のDD13の姿も見えます。ってことはC57は入換ではない?試運転なんでしょうかね。

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見慣れている機関車とはいえ、行き掛けの駄賃ならぬ帰り掛けの駄賃となりました。機関区で見るのとは雰囲気が異なり、駅ではちゃんと仕事しているな~(休んでいるけど)って思えてきます。家ではゴロゴロしてばかりいる父親が、職場ではテキパキと仕事をこなしている、そんな姿を見た時のような印象でしょうか。
スノープラウを外し足回りすっきりと、夏らしい姿です。

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駅の跨線橋が見えます。更にその向こうには、いささか分かりにくいのですが、貨車が数多く留置されています。当時は苗穂駅もそうでしたが、桑園駅でも貨物の取り扱いを数多くこなしていたんですねえ。
ホームに立つ中学生は、もしかすると後輩だったかもしれません。(私は中3。)

競技の様子を撮影するためにカメラを持参していたわけですが、図らずもいい儲けものになりました。そして生きた蒸気機関車桑園駅で見るのは、これが最初であり最後となったのです。

昭和47(1972)年7月28日