ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三笠再び

何となく三笠へ行ってしまったその一週間後、再び三笠を訪れました。こちらは当初から予定したものです。先週訪れたのは日曜日だったため、幌内間の貨物は運休でしたが、この日は月曜日なので(春休みです)運転されるでしょう。

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三笠←幌内 59609
山から石炭を満載にした運炭列車が下ってきました。下り勾配なので、煙は全然出ません。無火でも走れるかも。でもそれじゃあブレーキは利きません。

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画面左の大きくカーブしているのが幌内へと続く線路です。今まさに、列車はスイッチバックをして三笠駅に到着するところです。ここで機関車は切り離され転車台で向きを変え、別の空セキを連ねて幌内へ向けて出発します。

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幌内←三笠
まあ、何というか。煙が出るのは分かっていましたが、素直に撮影するのが癪だったのでこんな構図に。

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我に返り、振り向きざまは普通に撮影です。でも運炭列車なのに肝心のセキ車は写っていませんね。どこまでヒネた自分なんだ。

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萱野~三笠 D51 1023
萱野側へ行ってみます。幾春別からの貨物列車が到着し、入換をしているようです。時間がなく、いい場所が見つけられませんでした。

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萱野~三笠
急いで駅へ戻るとまだ入換中でした。この用水路は今はどうなったのでしょう。右手の方に踏切があります。

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幌内→三笠
三笠を出てから1時間もしないうちに幌内から戻ってきました。それにしても、もうちと場所を考えろよな~自分。お、キャブの中に少年らの姿を見てしまった。この頃は蒸機に限らず「坊主、乗るか」みたいなノリで、運転席・機関室に誘う運転士や機関士がおりましたなあ。

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59609の入換です。小雪が舞っています。シャッターは1/30か1/15で切ったので、雪が糸くずのように写ってしまいました。

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59609の陰にはD51 1023が発車待ちしていました。

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入換の間、ず~っと踏切は閉まりっぱなしだったか、それとも頃合いを見て開けていたのか、もう記憶にありません。岩見沢行きの列車は、貨車を切り離して発車待ちをしております。

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萱野→三笠 D51 737
そこへ岩見沢からの貨物列車が到着します。お姉さんたちが雪割をしていますが、そこはどういう場所なのでしょう。

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この少年たちがキャブで見かけたのと同一人物かどうかは忘れました。ラジカセ片手にいい音が録れたのかな?もうすっかりいいオッサンになっているでしょうか。

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そうこうしているうちに、岩見沢行きが発車します。

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今度は急いで駅の唐松方(幾春別方)に突っ走り、幾春別行きの発車を撮ります。踏切は果たして上がっていたのかどうか・・・。
それにしてもなんでか、縦写しが好きですねえ。煙を意識し過ぎか。

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休む間もなく幌内行きの発車です。バックで出発します。踏切を通過した後、爆煙を吐いて一気にヤマへ向けてダッシュします。

幾春別からの貨物列車が到着してからここまでの間、わずか1時間半も経っていません。ドラマだなや。

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幌内→三笠
1時間で幌内から戻ってきました。ここでの撮影が満腹になったので、場所を変えることにします。

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三笠←萱野 D51 1120
単機がやってきました。機関区で撮影するのとなんも変わらんね。自分では十分過ぎるくらい引き付けた積りです。

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三笠→萱野
雪が上がり陽が差してきました。こういう情景的な絵が撮りたかったので、個人的には結構お気に入りの1枚です。この場所からは駅が遠くに見え、列車の姿はず~っと見えておりましたので何枚もシャッターを切っておりますが、まあそれは割愛ということで。

因みにこの橋梁は今でこそ普通に道路を結んでいますが、この当時は対岸の道路が完成していなかったのか、橋だけが堂々と、しかしポツンと架かっておりました。ですから交通量はゼロ。誰も何も来ませんでした。川のせせらぎとカラスの鳴き声だけが響いておりました。

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三笠駅
納得のゆく撮影を終えて駅に戻ってきます。59609が休んでおりました。この後の幌内方面の列車は運休のようでしたので、疲れていたこともあったのでしょう、早めの列車に乗って帰宅しました。そういう根性無しの性格は今でもしっかり堅持しておりますよ。エヘン。

昭和49(1974)年3月25日