ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

写真部員M君と再び

同級生で写真部員のM君。栗丘での撮影が刺激的だったのかもしれません。正月に再び一緒に撮影に出かけました。場所は幌内線、三笠と幌内。
しかし私の愛用のカメラはこの時故障中でありました。でも心優しいM君は、そんな私にカメラを貸してくれたのでした。ジャバラ付きレンズがカメラ本体に収納できる、とてもクラッシックなビンテージカメラです。

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三笠→幌内
いきなり幌内です。三笠から二人でテクテク坂道を上ってやってきました。
でも正直、この時の記憶はほとんどありません。この場所だって、ちっとも覚えちゃいません。老人性痴ほう症ではないでしょう。幌内駅の写真は撮っていないし、本当に行ったのかどうかも記憶は曖昧なのですが、写真にはその辺りの風景が写っているので、行ったことは間違いがないようです。

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機関車の向きからして、後ろの方に炭鉱があるのでしょう。でもここはどこ?

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幌内駅構内 69699
これを撮ったことはうすらぼんやり覚えています。しばらくここで機関車を眺めたり写真を撮っていたしね。こんな場所に居ても何も言われませんし注意もされません。

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ごちゃごちゃ感が半端なく、ついカメラを向けてしまったようです。
張り巡らされたパイプの数々。模型屋さんは、こんなのをマジで模型化するのでしょうか?気が狂いそうです。

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意味なく縦写し。全然記憶にないんですが。
右の建物には「幌内」の文字が。何の建物なんでしょう。

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列車の後を追うように三笠へ戻ってきましたが、やはり意味なく縦写し。
M君は堂々と構内で撮影です。こんなのが許された時代なんですね。

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三笠駅構内 69699が休んでいます。
今度は意味なく天を仰いでいます。写真の善し悪しは、カメラの問題ではなくカメラマンの腕次第ということがよ~~っく分かります。
現在のクロフォード公園には、この雰囲気が残っているのではないでしょうか。

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三笠←萱野
最後は、私のお気に入りの場所で単機ながらD51を撮影しました。といっても、この時の記憶も・・・どうも・・・あやふやで・・・。

二人で撮影に行ったのだから、色々と話もしただろうに、そんなことも覚えていません。唯一、行きの列車の中で、カメラの使い方を教えてもらったのは覚えています。印象的なカメラだったし。

こうして、曖昧模糊とした記憶ながらも、蒸機を追いかける最後の年が明けたのでありました。

昭和50(1975)年1月8日