ふられて、と言っても青春の甘酸っぱい思い出話などではありません。
夕張線の川端。夕張川橋梁付近で撮影しようと、意気揚々と現場に到着。道路から撮るのはフツウ過ぎて面白くないので、草むらの中から狙うことにします。夏休みの真っ最中なので鉄道ファンがあちこちにおり、彼らと同じ写真は撮りたくないという気持ちだけなんですけど。
8月初めの太陽は強烈で、頭上から陽が容赦なく降り注ぎ、暑いです。とても暑です。でも、蒸機が来るまでの我慢だと自分に言い聞かせ、まとわりつく虫にもめげずにひたすら待ちます。待ちます。待ちます。
結局2時間ほど待ってもお待ちかねの蒸機列車は来ませんでした。熱射と虫に耐えるのも限界です。あ~もう帰ろ!
栗丘駅 227列車から C57 38牽引
撮影を中断して汽車旅に方向転換です。後ろ髪引かれる思いがなかったといえばウソになりますが、たまには汽車に乗ってゆったりするのもいいかなと。実際のところ、撮影の移動ではいつも乗っていたんですけど、移動で乗るのと楽しむために乗るのとでは気分が違います。窓から吹き込む風の何と気持ちいいことでしょう。
栗沢駅 228列車 C57 135
汽車同士の交換はあと何回見られるでしょうか。小さな汽車旅なのに終点の岩見沢に近づくにつれ名残惜しい気持ちが募ってきます。
しかし追分からの小さい汽車旅はあっという間に終了。岩見沢に到着です。
岩見沢駅 オハフ33 104
汽車旅の醍醐味は、蒸機の存在はもちろんですが、これら旧客があったればこそでしょう。敬意を表して1枚。ホントに1枚だけですけど。
この車両はスハフ34823として昭和14(1939)年10月9日に川崎車両で誕生しました。(鉄道ピクトリアル 2004年8月号より)
公平を期して711系も写しています。おデコにはまだ前照灯は付いていません。この時代、1編成だけ試作的に取り付けられていたと思います。
蒸機のにっくき仇、DD51にもカメラを向けましょう。
1051号機は、一体型ラジエタカバー装着の最終機です。1052号機から2分割されます。1枚ものだと重すぎて、検修の現場では取り扱いに苦労したそうで、北海道では釧路機関区を除き、カバーを外して運用していました。カバーを外すことで何か不都合はなかったのでしょうかね。
D51 1118 岩見沢を発車してすぐ、列車の窓から。
走りの写真はほとんど撮影できませんでしたが、のんびりと汽車に身をゆだねて時を過ごすのも悪くないかなと。汽車にふられて汽車にゆられて。
昭和49(1974)年8月5日