ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

桑園と苗穂と札幌駅

夕方から撮影に出かけた自分の行動は、今となっては理解不能

16時45分頃、新琴似駅を出発
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630D

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桑園←琴似 835列車 ED76 513
後ピンです。天井窮屈です。下手です。
 
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桑園駅 DD13入換中
新しい車掌車ヨ8000と従来の有蓋緩急車ワフ29500。
既に特急「つばめ」や「はと」の展望車がなくなって久しいですが、ヨ8000とワフ29500のオープンデッキはまさに展望台。コアな乗り鉄には羨望の特一等車とも言える存在です。
平成になり「くしろノロッコ号」や「SLすずらん号」などに連結されたヨ3500で、ようやく展望車気分を味わうことができたのも、今は思い出です。

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苗穂駅での貨車入換
手前ではDD13が、奥の方ではDE10が入換をしています。構内のスピーカーからは「何とか列車通過」などと頻繁に案内が流れていました。
奥にはテレビ塔が見えます。

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DE10 1597
苗穂機関区にDE10の配置はなく、小樽築港機関区からの出張です。
平成の今、札幌運転所の入換用DE10が旭川運転所の所属というのと同じことでしょうか。
背景の建物など、平成の今ではすっかり様変わりしております。

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苗穂駅←札幌 特急「いしかり6号」
485系電車の特急「いしかり」です。デビューから1年が経過しましたが、北海道の冬は485系にとってあまりに大きな試練でした。
貨車だらけの構内に荷物ホームの屋根は、駅の規模を感じさせます。貨車ファンには聖地だったかも。

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夏の間はお休み状態の雪掻き車たち。ラッセル車ジョルダン車が並びます。DE15の登場により、雪掻き車の出番は激減しました。

この後札幌駅に戻り、撮影続行です。

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札幌駅 548D キハ46 1ほか
ピントが取れません。多分、絞り開放で、レンズのキレの悪さも目立ちます。

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特急「北斗2号」
「2号」と言っても朝ではありません。夕方です。この頃は「北斗」は3往復しかありませんでしたが、その代り特急「おおぞら」3往復、特急「おおとり」1往復、急行「すずらん」が4往復(夜行含む)、そして山線経由の特急「北海」1往復に急行「ニセコ」が2往復と急行「宗谷」1往復が、函館・札幌間の旅客輸送を担っておりました。まさにキハ80系とキハ56系の天下で、特急は全列車、食堂車付きでした。

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「北斗」から「おおぞら」にヘッドサインを付け替えていますが、車両の運用は全く分からないので、この後、この車両が「おおぞら3号」になったのかどうかは分かりません。

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885M 711系9連
当時はな~んも気にしていませんでしたが、711系電車3ユニット9連です。9連だとなかなかどうして見応えがあります。明るい時間帯に見た記憶はないので、夕方だけの運用だったのでしょうか。

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急行「らいでん3号」と740D
キハ22(63)とキハ21(7)が顔を並べています。両者の顔は瓜二つです。
ローカル急行には主にキハ22が運用に充てられていましたが、急行「せたな」「えさし」「松前」などにはキハ21が使われていました。本州ではキハ17や115系電車が急行列車に使われておりましたから、特段驚くほどのことでもありませんが、急行料金を払うのはちょっぴり勿体ない気はします。

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このベンチ、酔っぱらって寝込むには絶好のベッドでしたね。
昔のホームは概してゆったりしていたような気がします。

結局、何を撮りたかったんだか、思い出そうとしてもやっぱりさっぱり思い出せません。

昭和51(1976)年7月30日