ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

川部で弘南鉄道黒石線も

早朝、急行「八甲田」で青森に到着するとすぐに奥羽本線の624列車に乗り換えて、川部へと向かいました。川部駅弘南鉄道黒石線の接続駅で、ここで国鉄と黒石線の両方の列車を狙おうという魂胆でした。

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6:15着 青森駅 急行「八甲田」 ED75 1032
乗り換えた624列車は撮影していません。なんでかな~?
「八甲田」では1ボックスでゆったりでき、また適度に暖房が利いて実に快適でした。しかし、624列車に乗るとたちまち眠気に襲われてきて、このままだと乗り過ごすおそれもあったので、朝食の駅弁を食べることにしました。どこで買った駅弁かは覚えていませんが、すっかり冷えてしまったその駅弁のまずさに、一気に目が覚めたとメモしてあったので、余程まずかったのでしょうね。

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青森から40分ほどで川部に到着です。川部駅五能線の接続駅でもありますが、今回は五能線は撮影しません(かなり勿体ない)。弘南鉄道黒石線の駅としては「弘南川部駅」になります。

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ついこの間、黒石線は国鉄から弘南鉄道の路線に変わったばかりでした。数少ない私鉄への転換です。

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7:18 北常盤→川部 急行「むつ2号」
奥羽本線と黒石線の分かれるポイントまで移動しますが、その途中で「むつ」が通過してゆきました。

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7:28 弘南川部←前田屋敷
バックに「朝日に照らされる岩木山」をイメージしていたのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。奥羽本線が見えます。

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7:36 弘南川部→前田屋敷
川部から折り返してきましたが、移動する時間がなかったので同じ場所での撮影です。芸がありませんったら。
黒石線の車両は、塗色を変えた元国鉄のキハ22です。黒石線は平成10(1998)年に廃止されましたが、その時には小坂鉄道から譲渡されたキハ2100が最終列車となりました。

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7:43頃 川部←北常盤 626列車
これも同じ場所からでしょう。曇天下の刈り入れの終わった田んぼは、何とも沈んだ色合いですが、ED75と50系客車の赤が、少しは絵に活力を与えているかな。

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7:56 前田屋敷→弘南川部
前日の山の中の板谷から、この日は真っ平な川部。両極端な地形にどうやって撮影しようかと迷ってばかりでした。

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8:13 川部→北常盤 特急「日本海1号」 ED75 723
ヘッドマーク未装着の時代でした。最後尾を見ないと列車が確認できません。

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8:21 川部←北常盤 特急「鳥海」
上越新幹線の開業と同時に誕生し、羽越本線経由で上野~青森間に運転されましたが、東北・上越新幹線上野駅開業時に廃止されました。わずか2年半と短命な列車でしたが、その後、寝台特急列車として復活します。

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8:37 前田屋敷←弘南川部
なんかもうどうでもよくなってきたよ。

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8:42 川部→北常盤 特急「あけぼの1号」 ED75 765

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入換作業
入換動車は小さく見えて、結構力持ち。

滞在時間の残りが少なくなったので、駅に戻ります。
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川部駅構内には架線が張り巡らされています。電気機関車で入換をやっていたのでしょうかね。旧客が何両も留置されております。

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9:45頃 627列車

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9:46 特急「あけぼの3号」 ED75 714
この当時の夜行列車は「あけぼの」2往復、「日本海」2往復、「津軽」1往復が運転されていました。

天候は冴えないし、暖を取りたかったこともあって乗車予定の列車を1本早くして帰途に就きました。青森から「はつかり10号」で盛岡に、盛岡からは東北新幹線で大宮へ。
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大宮駅
大宮からは「新幹線リレー号」で上野へ、上野から京浜東北線で横浜へ。そして横浜からは最終ランナーの相模鉄道で希望ヶ丘へと長~い道のりを辿って帰宅しました。気が付くと鼻水は止まっており、すっかり風邪は直っていたようでした。

昭和59(1984)年11月18日