ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

草地が広がっていた頃の厚別へ

この頃は特定の列車を狙うことよりも、普段の定期列車を片っ端から撮影することの方が多かったでしょうか。ですから、本数を稼げる札幌近郊での撮影がメインでした。この時は厚別に行ってますが、いつも西側の千歳線築堤ばかりだったので、たまには東側へということでやってきたような気がします。

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306D 急行「宗谷」
グリーン車にも落書きが。酷いもんです。動労の気ぶれぶりは沖縄のアノ連中といい勝負です。たまに仕事をする共産党はナンだけど、政府与党批判しかできない無能な民進党と同じ、日本をダメにする病巣のようです。実際、この何年にも及ぶ一連のストが国鉄解体の一因になっていますし。

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1007M 特急「いしかり7号」

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3143D(札幌発旭川行き)

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16D 特急「おおとり」
野津幌川。すでにこの回転方式の扉は撤去されており、こんな遊びもできません。
この頃のこどもはちょっとやばっちい遊びの中で、危険から身を守る術に学んでいたような気がします。

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833列車(手稲発滝川行き) ED76 522

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809M 急行「かむい4号」

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183列車 DD51 1050

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厚別中央通がまだ踏切だった頃。

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1008M 特急「いしかり4号」
とにかく、北海道百年記念塔だけが目立っていました。
この塔の建設にあたっては「アイヌ民族の土地を侵略した象徴に他ならない」との理由から建設を阻止する連中とひと悶着ありました。侵略はあながち嘘ではないけれど、記念塔の主旨は未来志向なわけだし、学生運動の延長にかこつけた暴力運動の延長にしか思えませんでした。現在の中毒狂惨党の抗日記念や奸國の売春像のように、過去の怨念と嘘にまみれた非常識な妄想記念とは全く次元が違います。

駅に戻ります。
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5D 特急「おおぞら3号」

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15D 特急「おおとり」
この当時は、列車通過時にも安全確認のために駅員さんがホームで見送っておりました。

昭和52(1977)年10月22日