ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

本日のカラーポジ 只見川第一橋梁

昭和62(1987)年11月1日 会津西方会津檜原 426D
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かつてはローカル線の風景に憧れて、幹線そっちのけでハマっていた時期がありました。只見線は数あるローカル線の中でもとりわけ秋の紅葉が素晴らしいことで有名で、幾つもある橋梁と絡めて撮りたいと考えておりました。只見川第一橋梁は、国鉄最後の冬に、磐越西線撮影の帰りに下調べの積りで立ち寄った場所でした。会津檜原駅で下車し、5万の地図を頼りに場所探しをしたのですが、旧道から林越しに見えたアーチ橋が素晴らしかったものの、適当な場所を見つけられないうちに列車が通過してしまいました。

今では駐車場完備、案内板完備であまりにも有名になってしまいましたが、このお立ち台はその年の初秋、3度目の訪問で見つけました。宮下方のトンネル入り口脇に獣道を発見。おそらく鉄塔の管理道なのでしょう、途中、急こう配で滑りやすい箇所にはロープ(タイヤチューブだったような気がするのですが・・・)が張られておりました。鉄塔の足元から見下ろした風景は期待以上のものでした。実は2回目の時にも似たアングルの場所を見つけてはいたのですが、そこはトンネルとトンネルの隙間から行けた所でした。ところが3回目の時にはその隙間がシェッドで覆われており、行くに行けなくなっておりました。ま、そのお蔭でこの場所を見つけられたわけですから、何が幸いするか分かりません。

高い所に上がったなら、今度は低い所にも行きたくなります。蒸機時代にすでに撮影されている場所ですが、何としても自分も撮影したい欲求に駆られました。今度はアーチ橋を見上げるビューポイントを捜すことになります。
翌年、第一橋梁の上から(今はそんなことしちゃダメですよ)川岸を観察すると、船着き場が見えました。旧道に戻り、アタリを付けて鬱蒼とした草を掻き分け川岸に向かって降りて行くと、何とかその場所を見つけることができました。苦労が報われるって、実にうれしいことです。

昭和63(1988)年11月4日 会津西方会津檜原 427D
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只見線、ちょっと長い