ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

上野幌から新札幌まで

非電化時代の千歳線を上野幌から新札幌まで、沿線に沿って歩きながら撮影しました。写真はすべて左側が新札幌駅方、右側が上野幌駅方となっています。

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3066列車 DD51 1160

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23D 特急「北斗1号」
植樹したわけでもないのに、沿線ではどんどん木が育ちます。ここの建設当時は画面右上の木なんてなかったでしょう。法面をもう少し上に上がると、上野幌駅が見えます。

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単1763列車 DD51 1135
線路際で撮影してもOKだった頃。自分の身は自分で守る。それさえできれば問題なしでした。柵がないからといって、物事の判別のつく大人が線路に立ち入り、列車に轢かれて死ぬのはあくまで本人の責任。柵を設置しなかった鉄道会社に責任は一切ありません。でも今じゃ責任押しつけモンスターが闊歩する時代。柵を設置したり看板を立てたり、余計なことに時間とお金を使って鉄道会社が気の毒でなりません。

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5960列車 DD51 614
お昼寝中のコンクリート柱は電化用のものでしょうか。

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3051列車 DD51 656
架線がないと嬉しいほどスッキリしています。

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205D 急行「ちとせ4号」
宅地造成中です。今はすべての区画が住宅で埋まっており、宅地と線路の間は林になっています。グーグルマップと見比べてみるとその変貌ぶりに驚かされます。

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4D 特急「おおぞら1号」

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212D 急行「ちとせ5号」 厚別青葉通りをオーバークロス
道路左側の空き地も宅地だらけになりました。

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731D
コンクリートの橋梁を渡り、振り向いた状態です。

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730D
上の写真では、比較できる対象がないので場所の特定は難しいですが、下の写真でそれとなく場所が分かります。今は林が正面に伸びています。

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単9766列車 DD51 1052
獣道が続くこの辺りは宅地造成により削り取られました。

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3D 特急「おおぞら2号」
線路と道路の間の空き地も今は宅地で埋め尽くされています。

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207D 急行「ちとせ7号」
左側の小山は(立ち位置とともに)完全に崩されて、住宅と青葉町みどり公園になっています。画面右のフレーム外が、若いファンがよく外カーブ狙いで撮影に訪れる場所です。

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9975列車 DD51 790
画面右側の平野部も宅地が密集しています。道路は増えて舗装されました。

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4181列車 DD51 1049 南郷通り

とまあ、線路際を歩いても警笛を一度も鳴らされることなく、新札幌駅の近くまで来ました。
架線柱や架線梁だけでなく、宅地造成により沿線の様子がすっかり変わったことがお分かりいただけたかと思います。この先、30年後には更に変わるでしょうから、この付近で撮影する人は、是非とも、街の様子も分かるような写真も撮っておいて欲しいです。

昭和53(1978)年9月12日

今日、何年かぶりに片頭痛に見舞われました。昼食後、その前触れである目のチカチカが始まり、20分後に収束すると今度は本命の片頭痛が起きます。中学生の時に最初に発症し、高校生の時までは片頭痛の後に寝込んでゲロッておりましたが、学生の頃になると寝込むこともゲロることもなくなりました。それでも、気分はすぐれませんけどね。写真は目チカチカの状態でレタッチしています。あ~、頭いてえ~。