ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

池北線 仙美里へ

仙美里(せんびり)とは何とも美しい駅名ではないですか。足寄の池田側のお隣になります。線路の東側には、少し遠いけれども仙美里ダムがあり、これと絡めて撮れないだろうか、そんな思いで訪ねました。

池北線の始発駅である池田で下車しました。あ、タンク列車に乗車したわけではありません、念のため。
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池田駅 3487列車 DD51 581

北見行きの933Dに乗り換えます。3両編成の最後尾はキユニ26 23。初めて見る形式です。所属は遠軽機関区とな。
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キユニ26 23のタネ車はキハ26 1、苗穂や札沼線で何度か見た車両です。勿論、当時はそんなことなど知る由もなく、珍しがって写真を撮っただけです。改造の落成はこの年の3月5日なので、登場間もない姿です。顔くらい撮っておいて欲しかった。

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北見まで行く2両目のキハ12 18。

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先頭のキハ12 13は足寄止まりです。

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最初の停車駅、様舞駅。

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高島と勇足の間にある大森駅ですが、道内時刻表にも載っていませんでした。駅とは云え、実際には仮乗降場だったようです。JR北海道の発足時にめでたく駅に昇格しました。

仙美里で下車し、足寄方面へ向けて国道242号線を歩いてゆきます。すっかり春の気配で国道には雪はなく、長靴で歩くのがちょっと恥ずかしいくらいです。
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足寄→仙美里 4926D

国道の左手に小高い場所へ上がる道を見つけたので行ってみました。そこは畑だったのかもしれませんが、泥でぐじゃぐじゃです。端の草地を選んで歩いていきますが何とも妙な臭いが漂っています。改めてその泥をよ~~~~く見てみると、牛のウンコでした。ウンコ畑です。一面、牛のウンコって、なかなかね。そう見られませんね。長靴履いててヨカッタわ。流石、人口よりも牛の数が多い足寄町であります。
まあ、そんな臭いに包まれて撮影したのが下の写真です。遠くに仙美里ダムも見えたし、ヨカッタ・ヨカッタ・クサカッタ。農家の方、お疲れ様です。
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足寄→仙美里 912D 急行「池北」
ウンコ畑を発つ際に、わずかな残雪でウンコを落としたのはいうまでもありません。仙美里へ戻りながら撮影を続けます。

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足寄←仙美里 935D
利別川の橋梁。ふるさと銀河線廃止の時には撮影名所になりました。国道から撮れますからね。

この当時は貨物列車も走っていました。
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足寄→仙美里 1990列車 DE10

これで撮影を終えて駅に引き返しますが、残念なことに駅舎の写真は撮っておりません。

新得とこことで合わせて20km近く歩いて、もうへとへと。池田に戻り、ここはいっちょ奮発してステーキでも食うべいとばかりに駅前のレストランに入ると、「終わりです」と言われて入店を断られてしまいました。まだ営業時間でしょうが。さては長靴姿を嫌がったな。バナナ饅頭でいい気になってんじゃねえぞ。仕方なく近くで見つけたラーメン屋に入り英気を養いました。養えなかったけど。
池田駅では長い夜を過ごしました。

昭和54(1979)年3月28日