ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札沼線のキハ53

平成7(1995)年11月16日 札沼線 太平←新琴似 571D キハ53 504先頭
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昨日の七尾線のキハ53に続き、本日は札沼線のキハ53です。キハ56の両運転台化改造で誕生したキハ53形式500番代ですが、深名線の廃止決定を受けてその存在が注目を集めることとなり、深名線亡き後は、唯一の運用区間である札沼線にファンの視線が注がれることとなりました。

この当時はすでにビデオ撮影に移行しておりましたが、「重い」「でかい」が売りの業務用ベータカムだったので、散歩ついでに撮るような場合には「写真でもいっか」という軽い気持ちで、たまにスチルも撮っておりました。当時はまだ車を持っていなかったので、両刀使いは到底無理でしたし。

平成7年には9月に深名線が廃止され、11月には「C62ニセコ号」の運転が終了するなど、ファンにはとても悲しい年だったのですが、深名線で追いかけたキハ53が札沼線で復活するとあって、再び鉄心に火が着いてしまいました。505号と507号が札沼線の運用に入り、501号や504号らとともに活躍しましたが、ほどなく505号は運用を離脱、平成8年に入ると3両が運用に就いていましたが、最終日の3月15日には、501号と507号が最後のお務めを果たし、北海道のキハ53の歴史にピリオドを打ちました。

札沼線の撮影ではしばしば友人の車に乗せてもらい、かなりの撮影量をこなしましたので、今、当時の映像を見てみると、この頃になってようやくまともな絵を撮れるようになったと実感できます。残念ながら深名線もC62も、映像はイマイチ。

写真の当時、札沼線の複線化、高架化工事が真っ盛りで、創成川に架かる下り線の橋梁が完成目前です。慣れ親しんだ光景が印象深く残っているせいか、現在の高架化・複線化・電化された札沼線は、夢の中の出来事と錯覚しそうです。