ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

旭川機関区へ

10月のダイヤ改正まで、もうあまり日もない頃、旭川機関区へ行きました。目的が何だったのかは全く記憶にありません。

851Mに乗車して旭川へ向かいました。せっかくなので、対向列車を狙います。
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滝川~砂川 1004M 特急「いしかり4号」
空知川を渡った直後の大カーブでしょう。左に曲がって行く引き込み線が気になります。

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深川駅 4D 特急「おおぞら2号」
なんで「おおぞら」が深川を?と思うかもしれませんが、こちらは旭川発の編成で、滝川で釧路からの編成を後ろに併結し、堂々の13両編成となって函館へ向かいます。

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納内付近 140D
まだツートンが少数派ながらも残っていました。

旭川に到着し、機関区へ向かいます。駅構内を歩いてはいないようです。
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どこをどう歩いて旭川機関区へ行ったのか、それも記憶にありません。写真の左端に高架道路が写っているので、それが手掛かりになりそうですが、今とは風景がガラリと変わってしまい、調べるのが面倒っちいのでスルーしておきます。それにしてもスイッチャーが可愛らしい。どこかの専用線みたいです。この踏切を渡って機関区に入ったのでしょうか?

さて機関区の中です。
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キハ22 19
機関区では気動車ばかりを写しています。気動車の番号集めが目的だったのかな?

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キハ40 101
ようやくキハ40のトップに会えました。

排雪用機関車がありました。DD14が排雪する姿は、生まれてこの方、とうとう一度も生で見ることはありませんでした。
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DD14 303

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DD15 33

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DD15 24

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DD15は貨物牽引でも排雪でも札沼線を走っていたので、動く姿は何度も見ています。

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排雪用機関車に混じって、顔面がへこんだキハ40 158が留置されていました。どんな事故だったのでしょう。

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DE10 502、DD51 32
撮影した機関車は上の写真の2両だけです。旭川機関区には若番のDD51がおりました。無断で侵入したとしたら、これだけ堂々と撮影できるわけがないので、立入制限を言われたのかもしれません。

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キハ22 300、キハ22 119
すっかりタラコ色が普及しています。

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キハ56 13
軸受けをばらしています。何の検査でしょう。流石に建屋の入口で撮影しただけで、中には立ち入ってません。

結局、大した写真も撮らずに駅へ戻りました。
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この当時、駅の呼び名は「あさひがわ」です。「新十津川」は「しんとつがわ」。

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オハフ33 326
戦前に製造されたオハフ33でリベットが残ります。北海道向けに二重窓に改造されていますが、改番はしていません。
ちょっと気になったのが一番手前の車掌室の側窓。日よけが鎧戸のようです。オハ35系では日よけにレザークロスを採用したと聞いていますので、これはイレギュラーでしょうか。

撮影目的は思い出せませんが、気動車や客車の番号が収集できたので、これはこれで善しということで。

昭和55(1980)年9月10日