ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

江別の夕張川橋梁付近で

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

「ちびっ子玉三郎号」を撮影しての帰りかなと思っていましたが、陽の当たり具合からこれは午前中に撮影したものなので、別の日の様です。夕張川の河川道路からの撮影になります。

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江別←豊幌 急行「かむい2号・るもい」か?

国鉄時代、非電化区間の急行列車と云えば、キハ56系の独壇場でした。この頃もまだバリバリの現役で、13輌などという化け物編成こそ無くなっていましたが、これくらいの編成は普通に見ることができました。

 

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江別→豊幌 L特急「ライラック

6輌編成の美しい姿が懐かしいです。この当時の「ライラック」には室蘭と旭川とを結ぶ運用があり、冬場の札幌駅でのスイッチバックの際、運転室窓に付着した雪を掃う手間を省けるように、運転台のおでこにはスタビライザーを設置し、走行時の風力で最後尾となった運転室窓への着雪を防止していました。

 

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江別→豊幌 急行「天北」

下り列車で札幌方に寝台車が2輌連結されているので「宗谷」ではなく「天北」です。

DD51が牽引する14系急行列車は、この他に「ニセコ」がありましたし、夜行では「利尻」「大雪」「まりも」、更に臨時では「すずらん」(札幌~函館)もありました。客車列車は列車の基本スタイルなので、まさか消えてなくなるなんてとても考えられない時代でした。とはいえ、全国的に普通列車の電車化・気動車化は進んでおりましたので、寝台特急列車以外は消えるのかな、くらいのことは想像していたかも。

昭和61(1986)年3月