ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

帰省途中の函館駅にて

苫小牧が実家の会社の先輩と一緒に帰省しました。前夜、上野駅近くの居酒屋で酒をしこたま飲んだので、メモをろくにしておりません。乗車した「ゆうづる」が何号だったのか、函館から乗車した「北斗」は何号だったのか、調べれば分かるでしょうけど、調べてもどうということはないし面倒なので調べません。

でも乗り換えの函館駅では、有益な写真を撮っていました。
鉄チャンハ、酔ッパラッテイテモ、カメラヲ離シマセンデシタ。

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急行「ニセコ

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特急「北斗」

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いつもならば迷わずに「ニセコ」に乗車するのですが、この時は苫小牧まで先輩と一緒に乗車するので「北斗」にしました。食堂車の中でも酒飲んで、その上、苫小牧で途中下車して、先輩のお宅でまた酒を飲んでしまいました。

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キハユニ25 5。後ろは4号です。これで、稚内の7号を除き、1~5号まで番号が揃いました。6号は焼失して存在せず、その代替車が7号でした。

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保健車のスヤ52 5
ストリートビューを見ると、2号が美瑛町ライダーハウスとして利用されているようです。「電車式 大衆居酒屋 安宿付」の看板が何とも・・・。

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DD13 650
最終番号651号機の一個前の番号になります。屋根右側には回転灯らしきものが設置されています。函館地区で専ら入換機として地味に一生を終えた機関車だったようです。

以上が、家族写真のフィルムに混じっておりました。すっかり忘れていた記憶が・・・ダメだ、思い出せん。

昭和57(1982)年4月30日