清水の工場に勤めていた苫小牧出身の先輩と、一緒にGW帰省をしました。清水から東京までの東海道線の車中では、東京に帰省する先輩も加えての3人で、酒盛りをしながら大いに楽しく時間を過ごしました。その醜態ぶりは、しっかりウォークマンで収録してあるのですが、聞くのが怖いのでいまだプレイバックしておりません。
東京の先輩は、せっかくだから上野駅で見送っちゃるわいということで、国電に乗り換える我々の後にのこのこついてきましたが、上野駅に到着すると列車の発車時刻までまだだいぶ時間があります。苫小牧の先輩はにわかに笑みを浮かべ「じゃあ、時間潰しにお店に入りましょうか」などと言って、駅近くの居酒屋まで我々を誘導し、2次会へと突入するのでした。
安い小説ならばここでハプニングが起きて列車に乗り損なう展開になるでしょうけれども、それほど青くない我々は顔を赤く染めながらも、列車入線前にはちゃんと上野駅の改札口をくぐり、ホームでの3次会へとコマを進めておりました。
これには乗らない、おそらく「ゆうづる11号」とともに。酔っぱらって撮影メモは取っていないし、記念に取っておいた乗車券類はだいぶ前に人に全部上げてしまったので、手元に残るのは翌日、函館から「北斗5号」に乗ったとする手帳への殴り書きのみ。
ホームにしゃがみこんでの3次会です。人目をはばからずに済むのは酔いの勢いだけでなく、もともと帰省シーズンの上野駅にはそういう雰囲気が漂っていました。新聞紙を敷かずにウンコ座り(正確にはソンキョ)しているのは、単に新聞紙がなかったから。
いかにも地方から出てきた田舎者が、待ちわびる家族の元へ帰るの図。
こういう写真も一応は撮っておきます。だって鉄ちゃんだもの。by みつを
気動車列車がまだ上野駅に出入りしていました。どんなに飲んでもシャンとしてます。ちゃんりんしゃん。by 薬師丸ひろ子
そしてまだ飲むど~。日本酒ではなくビールなので、実はあんまり酔っちゃいない。普段とあまり変わりません。因みに東京の先輩は、ニーチェだかマルクスだかの哲学書を読みながらエロ映画を見るような人でした。一方、苫小牧の先輩もまた本の虫で、ひと月に様々なジャンルの本を最低でも20冊は読みこなしていました。そして私はといえば、ペラッペラな吉本隆明の文庫本を読むのに1か月かかり、結局、頭には何も残りませんでした。
どうやらこれが乗車した「ゆうづる13号」のようです。乗車前の記念写真。パカです。
はい、さよおなら。ぶ~。ここではお尻を出すべきだったか。
しこたまお酒を飲んでも、翌朝にはちゃんとお目覚め。八戸か。まだ寝れるな。
そして青森到着。オハネ25 1。目ざとくトップナンバーを見つけたので思わずカシャ。空が黄色いのは酔っ払いとは無関係です。
この後、青函連絡船、「北斗5号」と乗り継いで苫小牧で先輩とお別れ。「北斗5号」では、ほとんど食堂車で時間を過ごしました。こうして1日半に及ぶ帰省旅行では、あっという間に呆気なく札幌に到着してしまいました。
昭和57(1982)年4月29~30日