ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

川崎駅から八王子まで

上京初日に東京から横浜へ向かう途中、旧型客車が川崎駅に留置されているのを見かけ気になっていたので、早速この日、訪れました。

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オハ46 2620
スハ43を増備する中で軽量化に努めた結果、ワンランク自重が軽くなってしまったため別形式になりました。最初からオハ46形式で登場したもののほか、スハ43から形式変更されたものの2種類があって、写真の2620はスハ43 620から形式変更されたものです。

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スハフ42 2403
スハフ42なのに出入り台が両端にあります。改造車であることは明白で、調べてみるとスハ43 2444を緩急車化改造したものであることが分かりました。不足していた緩急車を増備するための措置だったそうです。車番については、スハフ42のオリジナル車が335番まで附番されていたので、400番の区分を新設し、しかし電暖車なので最初から2400番代としたようです。この手の改造車としては2401~2404の4両がありました。

他にもオハ46が2619、2623、2625、2626の4両が留置されていましたが、画像は省略します。

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8列車 特急「富士」
運よく、ブルトレが通過してゆきました。

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グリーン車のサロ165-2。側窓がサッシ化されています。何か、物凄い違和感を覚えました。

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南武線の101系電車。この当時は101系と103系の見分けがなかなかつきませんでした。南武線総武線と同じカナリア色(黄色)でした。

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サロ110-54
普通列車にもグリーン車が連結されているなんて、流石トーキョーは違うなあと感心しきり。北海道でも、急行崩れの普通列車ではそのままグリーン車が連結されていますが、こちらは普通列車専用のグリーン車です。しかも2両も。
この車両は、元サロ153-54だったもの。準急用として製造された153系(当時はモハ91系)でしたが、その後急行の運用が増えてくると、サロ153のアコモでは見劣りするということで111系のグリーン車へと用途・形式変更されました。
因みに153系電車は全車解体され、1両も保存されていません。

東神奈川駅に移動しました。神奈川駅がないのに何ゆえに「東」が付くのかな~?と疑問でしたが、過去に横浜~東神奈川間には神奈川駅が存在したのですね。しかも、新橋、横浜に次いで、川崎と同時に開設された日本で3番目の駅だったといいます。
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東神奈川駅で撮影した横浜線用の103系です。山手線と同じウグイス色(黄緑色)です。

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モハ102-3
若番がいました。相棒はモハ103-3ですが、その写真は省略。

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日中には磯子行きの列車もありました。山手線の電車が京浜東北線を走るようです。

横浜線に乗って八王子に出ました。
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DD13 82とキハ35 906
若番のDD13とステンレスボディーのキハ35。両車ともなかなか味があります。
ステンレス車体は今でこそ当たり前ですが、国鉄時代にはなかなか普及しませんでした。

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キハ35 164
通勤用気動車は道民にとっては非常に珍しい存在。あまり乗車したいとは思いませんけど。外吊り扉も新鮮。戸袋窓から顔を出していたら、扉が開いた時にギロチンされます。実際には窓はちょっとしか開きませんが、それでも指ギロチンくらいはやられかねません。どうして固定窓にしなかったのでしょうね。事故は起きなかったのでしょうか。

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スエ31 73 救援車

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ソ80形式ソ98号 操重車

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DD13 231
本線運用があるのか、タブレットキャッチャーが付いています。それと関係があるのか、側面のナンバーが通常の白帯の中ではなく、ずっと下の位置に表示されています。

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EF60 503
ブルトレ牽引機です。一般塗色になっていますが、もともとはEF65 500番代と同じ特急色でした。

馴染みのない形式を堪能したうちに、無事、昭和55年度最終日を終えました。いよいよ翌日は新年度、新社会人のスタートとなる日ですが、まあ、今日の続きとなることは間違いないでしょう。

昭和56(1981)年3月31日