ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新幹線と相模鉄道

会社の独身寮は、相模鉄道希望ヶ丘駅から歩いて10分ほどのところにありました。今その場所をストリートビューで確認してみると、街並みがすっかり変わっていて場所の特定ができません。あれだけ大きな敷地だったのに、すっかり住宅で覆いつくされています。会社が変わり、独身寮を廃棄し、その土地を売却したのでしょうか。

さて、独身寮の近所には相模鉄道東海道新幹線が走っていました。両者を一度に撮ろうということで、希望ヶ駅のひとつ横浜よりの二俣川と、そこから分岐するいずみ野線南万騎が原との間で撮影することにしました。具体的な場所は記憶がありませんが、一部はストリートビューで確認できました。

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金網越しの撮影ですが、望遠で撮ると網が気になりません。短時間のうちに何本もやってくるものの、遠くから気配を感じることはできずに一気に接近してくるので、カメラを構えて待つ必要があります。ちょっと緊張を強いられます。

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改めて見ると、0系ってかっこいいわ。翼のない飛行機って感じ。トンネルがなければ、こういう流線形がその後の新形式にも引き継がれたんでしょうねえ。

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ゴミ焼の煙が何とも・・・。道路の電柱も異様にでかくないか。

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南万騎が原駅の近くにやってきました。

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時刻表要らずで、あっちへいったりこっちへ来たり。
細い道が住宅街の中に張り巡らされており、もう何が何だか。駐車場所に困るので、車で撮影に出かける場所ではありませんね。

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新幹線との絡みは案外難しいようです。粘る気力はないので、これ一回きりで。

新幹線の方は飽きてしまったので、相模鉄道の車両を写すことにしました。
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相模鉄道の知識は全くないので、車両の形式もさっぱり分かりません。


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本線といずみ野線との交差部になります。高架部がいずみ野線で、左が本線の横浜方面、右が本線の海老名方面になります。奥の合流部に二俣川駅があります。

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場所は分かりませんが、これで空き地の隅に土管でも積んでいれば、藤子不二雄の漫画の世界そのものですね。当時の20世紀少年も、今や21世紀中年でしょう。

昭和56(1981)年4月12日