ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

相模線の海老名駅付近で

最初の頃こそ「すんげえ!」と感激したHi8のビデオ映像でしたが、そのうち見慣れてくると、テレビ画質とのあまりの違いに気づいてしまい、Hi8では物足りなくなってきました。「民生機としては最高峰!」みたいに絶賛されていたSONYのCCD-V5000という肩乗せカメラでさえ、その素晴らしい外観とは裏腹に、画質はショボいものでした。
同じHi8でも業務用機なら多少はマシかもと思って、ビデオ機材販売のプロショップへ行って話を聞いてみましたが、「所詮Hi8だからね」と一蹴され「画質を求めるならベータカムかMⅡ(エムツー)しかないです」と断言されてしまいました。ベータカムは、どう考えても無理っしょ。500万円も出せませんってば。MⅡは評判はイマイチだし。

そんな風にビデオカメラに悶々とし、ビデオ雑誌を読んではプロ機材の記事に溜息をつくような有様でしたから、写真撮影の方もすっかり疎かになり、9月に入ってからようやく撮影に出かけました。
というのも、首都圏に残る貴重な非電化路線であった相模線もいよいよ電化されるということで、あまり乗りたいとは思わないけれども貴重なキハ35系の姿を残しておこうと思ったからです。手っ取り早く、相鉄(相模鉄道)の希望ヶ丘駅から海老名駅(終点)へ行きました。海老名駅小田急との接続駅ですが、相模線の海老名駅も200mほど離れたところにあります。

イメージ 1
10:57 入谷→海老名駅 358D
入谷方面から列車が海老名駅に到着します。すでに架線が張られています。向こう側の築堤の線路は相鉄の貨物線で、相模線と並行して厚木まで伸びています。相鉄の厚木駅は貨物駅で、相模線の厚木駅に隣接しています。なんせ、もともと相模線は相鉄の路線であり、この貨物線の方が相鉄の本線だったようです。もっとも、当時はそんなことはつゆ知らず、もし知っていたら相模線で厚木まで行っていたかもしれません。

イメージ 2
10:59 厚木←海老名駅 358D
厚木へ向けて発車してゆきました。左が相鉄の貨物線。西村整形外科に通じる歩行者用の細い踏切は、今はありません。

イメージ 3
11:11 厚木←かしわ台(相模国分
線路に沿って厚木方面へ歩いていると、いきなり後ろから電気機関車が、それも重連で通過してゆきました。カメラを手にしていたので撮影はできたものの、露出がワヤで原版では車体は真っ黒。でも、ここまで救済できました。この貨物線は相鉄の海老名駅は通らずに、ひとつ横浜寄りの相模国分信号所から分岐しております。

イメージ 4
11:17 厚木→海老名 359D
ストリートビューを見てみると、今はフェンス越しの樹木が成長しており、すっかり見通しが遮られています。

イメージ 5
11:33 厚木→海老名 1361D
この場所は今も同じくガードレールのままとなっています。「河川改修工事」とありますが、線路の向こう側に少し広めの、手前には細めの用水路があります。

イメージ 6
11:38 厚木←海老名 360D
雨が降って意欲がすっかり削がれたので、この後、早々に撤収してしまいました。そういえば、気動車の首都圏色(タラコ色)というのは、この相模線のキハ10形が発症もとい発祥でしたね。

平成2(1990)年9月15日