ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

板谷、その前に

昨日、写真をアップしながら、気持ちはもやもやしていました。板谷駅で撮影する前に、福島駅で何か撮影したような気がして。当時、2台のカメラで撮影に臨んでいましたが、同時に使うことは滅多になく、どれか1台で撮影していました。撮影したフィルムには通し番号を付して管理しているのですが、あまり使わないカメラに入ったフィルムは現像に出すタイミングが遅れてしまうので、通し番号を打つと時系列が逆転してしまいます。昨日、写真をアップしてから、板谷へ向かう前に撮影した写真が出てきました。だっせ~。

撮影に出かけるその日の朝、目が覚めると体がとてもだるくて、ゆうべ発症した風邪で発熱したんじゃないのかと思うような状態でした。鼻水がずるずるだし足もしびれる始末。でも周遊券も購入済だし、行けば何とかなるんじゃないかという微かな希望を持って、よろよろと会社の独身寮を出ました。希望ヶ丘駅から乗車した相模鉄道の車内でも、横浜駅から乗車した京浜東北線の車内でも、上野駅から乗車した「新幹線リレー号」の車内でも、大宮駅から乗車した東北新幹線の車内でも、本当にグテ~っとしておりました。しか~し、福島駅で在来線ホームに降り立つとあ~ら不思議、それまでの不快感は雲散霧消し、一気にやる気がこみあげてきたのでした。

乗り換えの列車まで1時間以上もあったので、一旦駅の外に出たようです。
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陸橋の上から。7年前にここに陸橋があったのかどうか記憶にありません。

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ED75 26。奥羽本線上にいます。今はこんなに線路はないようです。右半分が東北本線福島交通の線路。

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121列車 ED75 91
つらら除けの保護棒取り付け跡のボルトが少々いかめしいです。

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121列車
この列車は黒磯発6:28、福島着9:12の実にのんびり走っていました。新幹線だと那須塩原からで50分ほど。

奥羽本線の列車に機関車が連結されます。429列車山形行きです。
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EF71 3。牽引機はED78ではありませんでした。
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相変わらず露出不足の写真で恐縮です。

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オハフ61 3067に乗車。
オハ61 924を緩急車化改造してオハフ61 1067に。更に電気暖房化して3067号になりました。当時はそんなことも知りませんでした。

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福島駅のホームで買った駅弁に早速、手を付けようとしましたが、その前に1枚撮影しておきました。風邪のだるさも何処へやら。食欲旺盛です。木造の車体がいい味を出しています。

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10:54 赤岩駅 特急「つばさ5号」
「つばさ」は屋根の部分がちょこっとしか見えませんでした。

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板谷駅に到着し、429列車を見送りました。赤い腕章が懐かしいです。かつて私は「車掌」「専務車掌」「車掌長」の腕章を持っていましたが、みんな人にあげてしまいました。

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殉職碑がありましたが、読むのが面倒臭かったので写真を撮るだけにしました。

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右の建物はスノーシェッド。駅へ向かう線路は道なりに左へカーブしています。現在この道路は舗装されています。

で、前回撮影した山の上に向かいました。鼻水を垂らしながら山道を上ったようです。でもまあ、どうでもいいような写真です。
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14:36 板谷→赤岩 臨8414列車
隙間狙い。どういうわけか、この場所ではこの列車だけ、このカメラで撮影しています。ミノルタXDっていいます。ファインダーが明るくピント合わせがしやすいカメラでしたが、モータードライブではなく、秒間2コマのワインダーしかありませんでしたので、メインにはミノルタX-70に秒間3.5コマのモータードライブを付けて使用していました。秒間3.5コマなんて、今じゃワインダ―レベルですね。まあ、どんなカメラを使おうと、下手な腕はうまくはなりません。

メモが見つかりました。前回の記事では午後からの写真しか掲載していません。板谷駅には11:10頃到着しているのに、お昼前後の写真がありません。4本も列車が行き交っていたのにです。どうして撮影していないんだろう。でもチコちゃんは知っています。

フィルムを装填していなかったから~。

昭和59(1984)年11月17日