清水港線が、この年の3月一杯で廃止されるということで撮影にやって参りました。書き忘れておりましたが、この前の年の10月に、私は清水の工場から横浜の工場へと転勤となり、川崎の独身寮で暮らしておりました。新しい職場とは言え、清水の工場と一緒に仕事をした部署なので知った顔も多く、すぐに馴染めましたし、何より会社の帰りに本屋にふらりと立ち寄れるのがありがたかったです。読書家ではないけれど、何か面白そうな本がないかと探すのは嫌いではありませんでした。
で、そんな都会から古巣の清水へ4か月ぶりに戻ってきて、ホテル代わりに寮に泊めてもらって撮影に励みました。とはいえ、見知った顔が集まれば当然のように足は酒場へと向きます。深夜までしこたま飲んでの翌朝の撮影は流石にキツかった。酒臭いし眠たいし。おまけに清水らしからぬ寒い日でした。
寮から歩いてすぐの所にあった折戸駅。待合室もない、ホームだけの棒線駅ですが、かつては引き込み線もあったとか。砂利になっている所がその線路跡ではないかと勝手に想像。
8:35 661列車
さよならムードを盛り上げるかのように、早々にさよならのヘッドマークを掲出しておりました。客車にはそこそこ大勢の乗客が
何やら運転士が機関車から降りてきて、反対側から乗り込んでいました。そこそこ停車するので、乗客はホームに降りて写真を撮っておりました。で、すぐまた乗り込むのです。
終点の三保へ向けて出発。三保駅で下車した乗客は、おそらく静鉄バスで清水へ戻ることでしょう。
この後、上りの貨物がやって来るので、巴川口方面に移動します。
9:13 660列車
661列車を牽引してきた機関車が貨物列車を牽いて戻ってきました。この場所を特定するのにストリートビューを歩いてみましたが、右角には今は床屋さんが建っているところと推測されます。向かいの造船所は「清港ドック」かと。
タンク車のタキ8400形式。ウィキによれば、日本軽金属が所有するアルミナ輸送の車両で、15両だけの製造だったそうです。当時はそんなことなどつゆ知らず、貨車の形式写真なんて1枚も撮っていません。三保駅の構内にはいつもタンク車が留置されている記憶だけが残っています。
この後、フィルムを入れ替えてもう少し先へ移動しました。
昭和59(1984)年2月11日