ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C56試運転最終日

あっという間に試運転の最終日となりました。色々な場所で撮りたい気持ちから、この日は馴染みのある桑園へ向かいました。以前より気になっていた、競馬場の駐車場付近に架かる歩道橋です。「煙モクモクの迫力ある写真」は他人に任せて、自分が撮りたいのは「過去の日常」的な絵です。函館本線をC56が走ったのは入換仕業のための回送程度だったと思うのですが、そこまで厳密に考えずに、自分が幼かった頃の「汽車のある風景」を求めた次第であります。

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桑園→琴似
左手の桑園方面からマルタイがやってきました。慌ててシャッターを切りました。

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桑園←琴似 9821列車
そしてお目当ての蒸機列車。案の定、煙は完全にスカです。
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汽笛一発。蒸気がアクセントになりました。
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西20丁目通りの踏切を通過中です。
すでにこの歩道橋はなく、線路も高架化されており、周辺の変化と相まって、当時をしのぶことができるのはこの駐車場だけです。

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札幌駅での転線風景。北側の構内に客車を留置します。
ところで左に写る711系はクハ711-119です。もしかしてS-901編成だったか。

この後、フィルムをモノクロネガに交換し、返しの列車は学校の校舎の屋上から狙いました。けれど逆光の上に沿線の建物に邪魔されてまともに写っていませんでした。(そのため、モノクロ写真ではこの日の記事はアップしておりません。)
またデンスケも回していたのですが、線路までの距離が遠すぎて、都会の雑踏っぽい音しか収録されておらず、結局は何の成果もなく試運転の最終日を終えたのでした。このダメさ加減、実に自分らしいなっと。

昭和55(1980)年11月20日

今、かつて機関士をやっていた人の本を読んでいます。蒸気機関車の機関士に憧れ、そして実際に機関士になるまで、なってからの思い出を綴ったものですが、その中では実名がバンバン出てきます。実名を書かれた人たちの中には、著者の個人的な理由から批判的に書かれている人もおり、今だったら「どうよ、これ」と指摘を受けそうな内容です。発行は、ちょうどJRが発足した30年前ですが、今とはずいぶん認識が違っていたのですね。そういえば先日読んだ「蒸気機関車」の日曹炭鉱鉄道の記事の中では、豊富温泉について悪口が書かれていました。旅館も飯も高くてまずい。おまけに温泉は油でギトギト、みたいな。地元の人が読んだら怒るだろうな~。色々なことに配慮をしなくてはいけない現在からみると、その野蛮ともいえる自由奔放さはちょっと羨ましい気もします。