ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

道南ワイド周遊券で

すっかり過去のものとなった周遊券。長期間にわたりエリア内をうろつく際には、とても格安で鉄道や国鉄バスを利用することができました。C56牽引の臨時列車を撮影する時にも、実は道南ワイド周遊券を利用していました。その画像をアップしたいところですが、収集していた切符類、カード類は数年前にほとんど処分したため残念ながら手元にはなく、現物をお見せすることはできません。

その道南ワイド周遊券ですが、10月中旬の就職試験で上京した時に購入したものでした。東京までの往復は都内のミニ周遊券を利用したので、道南ワイド周遊券のA券(出発地から目的地までに使用する券、つまり東京から道内に入るまでに使用する券)は未使用のまま、B券(周遊地内の移動と、そこから出発地へ帰るのに使用する券)のみを使ったわけです。そのB券すらも東京までの復路分は使わず仕舞ということです。

せっかくの周遊券でしたが、撮影では札幌~小樽間しか利用しておらず、全然元は取れてはいませんでしたが、交通費は会社が出してくれたので、自分の懐は全く痛んでいません。しかし、そうはいってもせっかく函館まで行ける周遊券なので、期限が切れる直前に、何にも用事はないけれど函館まで往復することにしました。

札幌発21時34分の48列車は、小樽・倶知安経由の函館行き普通列車です。荷物車が連結された夜行列車で、札幌~小樽間と倶知安から大沼までは快速列車のように途中の駅を結構すっ飛ばし、函館着は明朝の5時1分。青森行きの青函連絡船26便までは2時間も待ち合わせがあり、実質接続していません。そんな列車に、デンスケ持参で乗車しました。写真撮影よりも車内録音と考えての乗車でした。なので写真はほとんど撮っていません。メモもろくすっぽ取りませんでしたので、乗車した客車の形式・番号も不明です。大沼辺りからでしたか、地元の年配の方々が乗車されてきて、キツイ訛り言葉がそれまでの静寂を破るように少々賑やかになりました。録音を聞くと、フラットになった車輪の奏でる音が、蒸機のブラスト音に聞こえなくもなし。

函館からは取って返しで、6時20分発の旭川行き121列車に乗車しました。これも山線回りの普通列車で、終点の旭川には19時46分の到着ですが、私が下車する札幌でも15時40分の到着でした。どんだけのろいんだ。

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長万部駅に停車中の121列車。牽引機はDD51 1138。
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最後尾に付着した雪模様には、そこはかとなく哀愁が漂います。
オハフ33 435の行先サボには「長万部-函館(鹿部経由)」(「経」は略字で)と書かれています。

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列車の窓越しにキハ21 80の姿が見えます。函館の車です。こちらには「瀬棚行」のサボが差されています。道南のキハ21は急行の運用にも就くので、愛称札や号車札のサボ受けが付いています。
84両が製造されたキハ21のうち、26号と35号がそれぞれキユニ21の1号と2号に、52号、58号、63号が101~103号に改造されました。またこの当時、6両が一ノ関機関区に配置されていました。

途中、ニセコ駅では、3つ目のDD51が前補機を務める急行「ニセコ」とすれ違いました。(未スキャンにつきアップできませんでした。)
そして、薄暗くなった札幌駅に到着。
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スハ45 23
この車両に乗ってきたのかどうかは不明です。普通列車なのに、しっかり号車札が差されています。旭川まで完乗したい気持ちもありますが、この先は周遊券のエリアから外れますし、帰宅時間もめっちゃ遅くなるので断念しました。

いよいよ卒論を真面目に取り組まねばならなくなり、しばらく鉄活動は控えることになります。

昭和55(1980)年12月5日

ちらっとですがDD51の姿が出たついでに、YouTubeにアップした機番集の映像でもご覧になっちゃって下さい。