ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

西8丁目の踏切で

学生時代にはよく訪れた西8丁目の人道踏切にやってきました。適度なカーブがあって車も通らない。のんびり撮影するにはもってこいの場所です。

その前に、西6丁目の踏切で「北海2号」の回送列車に出会いました。

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13:27 桑園→札幌 回5011D

西6丁目の踏切を南側から北を向いています。現在、高架の向こう側、道路の右手にはヨドバシカメラがデ~ンと建っています。線路のあった場所は道路になっています。

 

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13:37 札幌→桑園 1691D

西8丁目にある人道踏切です。塀の向こうは伊藤さんち。

札沼線の篠路行きです。わずか11.8kmの運転距離なので1両で十分ということでしょうか。

 

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13:42 札幌→桑園 42列車

札幌発13:40、函館着21:38の各駅停車。でも張碓駅だけは通過します。荷物車にとっては荷42列車。通学時・下校時の列車では、最後尾のデッキは大抵、あんちゃんのたまり場になっていました。

 

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13:43 桑園→札幌 660D

5分ほど遅れて、札沼線大学前発の列車が通過。(桑園←)キハ56+キハ46+キハ40(→札幌)という編成。系列がバラバラでも編成を組めるのが気動車の良い所。

 

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13:46 桑園→札幌 161M

小樽発、旭川行きの普通列車です。「ポプラ号」ではない711系を見かけなくなりました。「ポプラ号」廃止後、大量に製作したヘッドマークはどうなったのでしょう。上書きして別のヘッドマークに書き換えたのでしょうか。

 

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13:53 桑園←札幌 北海2号

先頭車試作車。スカートの下端が折れているので判別がつきます。

 

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13:56 1572D(手稲行き)・3551D(倶知安発、札幌行き)

3551Dは南小樽~札幌間はノンストップな快速列車です。先頭車のキハ40 141は後にキハ400-141に改造され、宗谷急行の運用にあたることになります。

 

これで山線から優等列車は消えることになりますが、「C62ニセコ号」が走り出した頃にはまだ臨時急行の「ニセコ」が運転されていました。キハ56系による運転で、時には団体乗車のお座敷車も連結されていました。「C62ニセコ号」撮影の折には周遊券でちょくちょく利用させてもらいました。

 

昭和61(1986)年10月13日