終点の扇町駅には行かず、二つ手前の浜川崎駅で下車しました。浜川崎駅は道路を挟んで二つの駅に別れています。鶴見線の駅と南武支線の駅です。古豪EF15 199が休息する踏切で、近所の子供たちの遊ぶ姿が印象的でした。
立っているのが南武支線の浜川崎駅で、踏切道路に面した右手の方に鶴見線の浜川崎駅があります。奥の方に昭和駅、扇町駅と続きますが、南武支線の旅客列車はこの駅が終点です。
鶴見線の浜川崎駅から鶴見方面へ引き返すことにします。
武蔵白石駅です。クラシックなクモハ12が停車していました。今はこの車両もホームもなく、安善駅が本線と大川支線との分岐駅になっています。
当時からこの駅とクモハ12は、首都圏にあって特異な存在でした。
こちらは本線側のホームです。お隣の安善駅に移動します。
EF65 125 岡山機関区所属。
何両もの入換機関車や貨車の姿が、工業地帯であることを物語っています。
安善から今度は一気に国道駅へ向かいます。
国道←鶴見小野
オレンジとの2色編成。ほどなくイエローに塗り替えられます。味のあったコンクリートアーチ橋も、今は普通のガーダー橋に架け替えらています。
「建設省」も遠い過去の名称ですか。
鶴見川で思い出すのはTVドラマの「男女七人 秋物語」の中で、手塚理美さんがこの川に突き落とされるシーンです。こんな汚い川によくもまあ。
鶴見駅に戻ると、構内の小さなホームにクモハ12が停車していました。新鶴見機関区とを結ぶ職員輸送用の電車だったようです。こんな謎めいた列車も、今にしてみれば大いに興味がそそられます。
昭和56(1981)年4月11日
5日から7日までは町内の夏祭りの準備や後片づけのお手伝いで、ヘロヘロになっておりました。そんな中、6日には久々に特大貨物がやってきたということで、沿線は賑わっていたようですね。熱く燃えたファンの人たちに水を差すようで恐縮ですが、小型のシキ180だった上にヨも連結されていなかったのですね。車軸を数えるのも目がちらついたシキ801やシキ810から見ると、何ともしょぼい編成に見えました。撮影に行けなかったからと決してひがんでいるわけではありませんよ。「特大」というほどの貨物ではなかったと、それを言いたかっただけです。
では本物の特大貨物をご覧あれ。
ちょっとヤな性格だわな。