ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

帰省

社会人になって1か月。GWには早くも最初の帰省です。上野から583系ゆうづる5号」に乗車します。

イメージ 1
上野駅にはいつも特急列車が停車しております。特急「ひたち」ではボンネット車編成も多く、見たことのない特急「こだま」を彷彿させてくれます。151系は華々しいデビューを飾りましたが、481系は東海道新幹線の影響でデビューが遅れたことと、走行区間日本海側ということで、画期的な車両だったわりには全国的な話題にはならなかったようです。

イメージ 2
乗車した21時40分発の15M「ゆうづる5号」。運よくモハネ582のパンタ下中段をゲットできました。天井が高いので座っても頭がつかえません。青森着07時05分、青函連絡船は07時30分出航の5便です。15M→5便→15D「おおとり」と接続しますが、「おおとり」には乗車しません。乗車したのは、「おおとり」の5分後に発車する急行305D急行「宗谷」でした。やはり「5」に因んでいます。
因みに栄光の「1」つながりは、1M特急「はつかり1号」→1便→1D特急「おおぞら1号」または11D特急「北海」、「3」は5013M特急「ゆうづる1号」または6013M特急「ゆうづる3号」→3便→3D特急「おおぞら3号」でした。「7」以降はなく、また上り列車については下り列車と対をなしており「2」「4」「6」がつながっていました。

ウォークマンで車内アナウンスを生録しながら、缶ビールをかっくらいます。写真と違って、スイッチさえ入れてしまえば酔って放置しても機械が勝手に録音してくれるのはありがたいです。余計な音を出さないようには気を配りますが。

イメージ 3
熟睡できぬまま青森に到着。何度も目を覚ましては、小窓から暗い沿線風景を眺めたりしておりました。
奥に見えるのは到着したばかりの5M「はくつる」。こちらが本来の「5」つながり列車だったかも。

連絡船でも函館駅でも、ろくに撮影をしないまま305D急行「宗谷」に乗車しました。所定8両編成ですが、増結されていたかもしれません。
イメージ 4
銀山駅で306D急行「宗谷」と行き違いです。

3月末に急行「ニセコ」で上京した時は一面雪景色でしたが、山線には残雪がところどころに見えるのみ。帰ってきたんだなあとしみじみ思いつつ、生録を中断して、景色には全然不似合いなYMOの「BGM」に聞き入っておりました。

昭和56(1981)年5月1~2日