ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

臨時特急「つばめ」を撮りに行ったものの

あの特急「つばめ」が臨時列車で運転されるというので東京駅に行ってみました。現実を知らないってこわいですね。ホームがどんな状態になっているかなんて全然考えてもいなかったわけですから、行ってビックリ。なんじゃこの人混みは。
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結局、立ちはだかる人混みを突っ切ることはできず機関車の前へ行けぬまま、こんな写真しか撮れませんでした。「つばめ」とはいっても、往時のスハ44系+展望車などといった編成ではなく、14系客車によるものです。でも、食堂車のオシ14はちゃんと連結されていたと思います。

夕方、「つばめ」が戻ってくるまでの間、プラプラ撮影して時間を潰します。

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東京駅から回送される「富士」

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横浜駅でしょうか。覚えていません。
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電車に手を振るこどもたち。今のこどもたちもこんなことしますかね。

上野駅にやってきました。
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地平ホームの「つばさ」と「ひばり」はともに485系

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高架ホームの183系「とき」と189系そよかぜ

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189系「あさま」。183系と189系は、特急車のくせに出入り口が1車両2か所あります。185系もそうだけど、首都圏用ならではの造りです。赤帯の塗り分けも485系とは異なります。それにしても、2両目がヤケに短く見えます。

久々の形式っぽい写真。485系「ひたち」です。「平」が懐かしい。
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モハ485-1

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モハ484-1
東北線485系は483系から始まりましたが、この時点でモハ482、モハ483はどうなっていたでしょう。
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485系「ひたち」と常磐線103系

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583系「みちのく」

この後、山手線を内回りで乗車したようです。
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池袋駅東武東上線赤羽線103系。今は赤羽線とは言わず、埼京線って呼ぶそうですね。

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品川駅の京浜東北線103系と153系。103系の顔がでかく見えます。
ここで「つばめ」の通過を撮影します。

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で、結果はこれ。なんじゃこりゃ、ですね。場所選びといい撮影といい、わたしゃ小学生ですか。

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回送列車は新橋駅で狙います。うまいこと新幹線と並走してきましたが、ヘッドマーク無しで単機ですか。
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単機じゃなかったけれど、テールサインも真っ白で「つばめ」の名残は何もありませんでした。この後にも何度か「つばめ」や「はと」が運転されますが、まともに撮れたためしはありませんでした。

昭和56(1981)年6月6日

ポジをスキャンするにあたり、マウントをばらして分かったのですが、コマの切断って結構いい加減です。コマとコマの中間をちゃんと狙って切っていると思っていましたが、かなり偏っていたり、酷いものだと写真の中に食い込んで切断しているものが何枚もありました。コダックもフジも。それでもマウントの開口部が、ポジの写真よりも結構小さめ(視野率にして90%くらい?)なので切断不良が表に現れなかったということです。

原京一さんの「蒸気機関車の記憶」(草思社)がアマゾンで安価で販売されていたので購入しました。一時期、値が上がったのですが、この時はグッと値落ちして、なおかつ、プライム扱いだったので送料は無料。お買い得とあって速攻でポチりました。原京一さんと言えば、季刊誌「蒸気機関車」誌上での常連さん。好きな写風でしたが、「蒸気機関車の記憶」に収められたカラー写真の色がどうにも不満です。機関車の黒がほとんど表現されていません。ネガ写真のように茶色っぽいものが多く、重厚さが感じられません。亡きあとに遺族らによって発刊されたこの写真集を、本人は天上からどのように見ているでしょう。