ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

都電荒川線

昭和40年代に入ってから、自家用車の普及などに伴い、各地で路面電車が相次いで廃止されるようになりました。勝手に増えている自動車側が「交通の邪魔だ」とばかりに路面電車を悪者扱いにし、自治体がそれに盲従した結果でしたが、結局、自らの増殖により交通渋滞は更に悪化し、騒音や大気汚染などの環境汚染をまき散らす公害の立役者となりました。また交通事故による死者数が年間1万人を超えるという事態にもなり(現在は4000人前後)、自動車事故がもたらす悲劇は今なお後を絶ちません。

それはともかく、最盛期には200kmを超える営業キロを誇っていた都電も、交通渋滞や赤字経営、地下鉄などの進展に伴い、荒川線を除いて廃止されてしまいました。荒川線が存続した背景には好条件が揃っていたからでしょうが、そんな荒川線を訪ねてみました。

どこをどう辿ったのかは覚えていませんが、早稲田電停におりました。そこから軌道に沿う道路を歩きながら撮影をしました。

後に有名撮影地と知った学習院下~面影橋間です。
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主力は7000形。ゲージは1372mm。函館市電も同じゲージなので、都電のお古1000形が走っていましたね。

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早稲田方面から三ノ輪橋へ向かいます。奥に見えるのは面影橋電停でしょうか。

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三ノ輪橋方面を臨むと、学習院下電停のプラットフォームが見えます。

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向こうに聳えるのはサンシャイン60。当時は東洋一の超高層ビルでした。

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王子駅前電停

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何となく耳にしていた飛鳥山電停付近にやってきました。歩道橋があるので撮りやすいです。都区内の道路地図を見ながら移動していたように思います。
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車の流れの中で、身を細くしているようです。

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そしていきなりの終点の三ノ輪橋電停。途中、車内でも撮影していたのですが、あまりにつまらないので割愛させていただきました。

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運賃は当時は120円。今は170円。
天気はパッとしないし蒸し暑いし、ここで撮影を切り上げました。

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多分、大塚駅前だと思います。
コメントでのご指摘により王子駅前であることが判明しました。マクドは色が変わっています。
ここから国電に乗り換えて東京駅に出ました。

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「出雲」入線。
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機回し。暗いので流し撮りしかやりようがありません。

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そして何故か新宿駅。どういう思いでここにやって来たのか、自分でも理解できません。この日はどうやら「国電・都営フリー切符」で移動していたようなので、少しでも多く乗車して元を取っちゃろうというコスい魂胆があったのかもしれません。乗車よりもキチンと撮影しとけよ。な。

昭和56(1981)年7月18日

追加 都バスです。
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「渋谷」と見ると「Sh15uya」の新垣結衣ちゃんを連想しちゃいます。