ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

憂鬱なお盆の帰省

この時の帰省はあまり晴れ晴れとしたものではなかったようです。休み明けには新入社員教育の仕上げとして論文発表が待っていたからです。論文がなかなかまとまらずに悶々とし焦りまくっていた、そんな心境でいたようです。そのせいか写真の方も気合が入らず、ほとんど撮っていません。

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青森駅でしょう。上野から乗車した列車は覚えていません。この列車だったのか、つまんない記念写真を撮ってしまいました。急行「八甲田」なのか。今は自分の記念写真を撮ることはまずありません。

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同じく青森駅。列車待ちの女性ですが、顔を覆うのは気が進みません。36年前の写真だから隠さなくてもいいような気もしますが、まあ一応。

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青函連絡船のマリンガール。夏の観光シーズンに船内放送で観光案内を、またデッキでは船内の案内や写真撮影のお手伝いをしていました。こちらも顔を隠してごめんなさいという気分です。

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急行「ニセコ」。多分、この列車に乗車したのでしょう。14系は特急用の客車ですから、テールサインにもしっかり「特急」の文字が入っています。牽引機のDD51は撮影していません。相当に気持ちが病んでいたのでしょうか。

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藤城高架橋からの車窓です。仁山回りの線路をDD51牽引の貨物列車が上ってゆきます。DD51の向こう側に、今は新幹線の車両基地があります。北海道新幹線など遠い未来・・・というよりも夢物語だった頃で、青函トンネルの工事も異常出水で犠牲者を出しながら遅れておりました。

この帰省中には知り合いからビデオカメラを借り、初めてビデオカメラに触りました。残念ながら鉄道は撮影していませんが、ビデオは面白いと実感しました。VHSのセパレートタイプ(カメラとレコーダーとが分離している)ですから、重くて嵩張ります。これを担いで撮影に行くのはなかなか大変ですし、何より非常に高価な代物なので、自分にはまだまだ手の届かないものでした。自分でビデオカメラを購入して鉄道を撮影するのはこの8年後になりますが、その時はすでに国鉄が消えていました。
論文の方は土壇場で論点がはっきり見えて徹夜で仕上げ、何とか無事に発表を終えることができました。やるじゃん、自分。

昭和56(1981)年8月14日