ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-30 121列車

走行している列車で形式写真っぽく撮影しました。構図変だしピント甘いしブレてんじゃね?という点は重々承知しております。単なる番号撮りです。

函館発6:20、旭川着20:06の121列車で、機関車は撮影しておらず、客車だけの撮影になります。札幌発車は16:09です。(苗穂←札幌)
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スハフ32 394(←スハフ34695)
スハフ32は、1号から98号までが旧称スハフ34200形式(二重屋根でスハ32600形式の緩急車)のグループ、99号から396号までが旧称スハフ34400形式(丸屋根でスハ32800形式の緩急車)のグループ、それと397号から409号が最初からスハフ32形式で登場したグループを統合した形式です。

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スハ32 841(←スハ33504)
1~136号が旧称スハ32600形式、137~863号が旧称スハ32800形式、850~863号は最初からスハ32形式、864~877号は改造車になります。

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スハ43 711(←スハ43 511←スハ43 580)

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オハフ46 505(←オハフ46 10←オハ47 111←スハ43 123)
スハ43の台車を履き替えてオハ47に。
オハ47を緩急車化改造してオハフ46に。
オハフ46を北海道仕様に改造してオハフ46形式500番代に。

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オハ62 27(←ナハフ24440)
木造客車の台車・台枠を利用して鋼体車化したのが60系客車。

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オハ35 1160
妻面はいわゆるキノコ形の折妻。屋根は鋼板。
出入口の上部以外に雨樋がないのは後に撤去したものではなく、当初からなかったものと思われます。

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スハフ42 507(←スハフ42 257)
岩内線幌似駅鉄道公園に保存中。

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マニ36 2249(←オハ35 2683←オハ35 683)

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マニ50 2149

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オユ10 2583(←オユ10 2053)
当初から電暖車である2053号を北海道仕様に改造した車両で、オユ10形式のラストナンバーです。因みに当初から北海道仕様で新造された車両は2501~2514号で、更に一般車からの改造で2515~2517号が追加されました。これら17両は後に冷房化されて2521~2537号へ改番されています。

10両10形式からなる素晴らしい編成です。
扉開放でデッキに立つ乗客の際どさには昭和の時代を感じます。こういう状況を「やばい」というのであって、美味しい意味で「ヤバイ」言うな、と口を出したくなるのも昭和時代の人間です。

昭和55(1980)年8月1日

昨日はヤフオクで落札した写真集「煙」が届きました。一般の古本価格の半額以下でしたので、状態はあまり期待しておらず、実際、商品説明では書き込みがあるとのことでした。しかし中を確認しましたがそれらしいものは発見できず、奥付に著者のサインと手書きのシリアル番号が記されているだけでした。儲けもの、ラッキーでした。
発行は昭和43(1968)年ですが、北海道はまだ炭鉱が賑やかに操業しておりそれに絡む私鉄や専用鉄道も各地に残存し、2400形式や8100形式といった古典ロコや、C62重連が牽引する急行「ていね」の写真などが掲載されています。自分がハナ垂れ小僧だった頃には、こんなにも素晴らしい世界があったのだと、溜息交じりにページをめくるのでありました。