ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-43 札幌駅-19客車

前回の気動車に引き続き、同日撮影した客車です。
天井がすっ飛んで真っ白になっているものもあります。

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スハ32 832(←スハ33495)

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スハ32 852
850号以降は旧称号を持ちません。
スハ32は、鋼製車としては初の20m車で、初期の二重屋根車が158両、その後の丸屋根となった増備車が727両の、合計885両も製造されました。二重屋根車の22両は新称号を受ける前、日中戦争勃発後に標準軌化されて中国の華中鉄道へ送られ、再び日本の鉄路を走ることはありませんでした。その22両分の空きがあるため、新製車の最終番号は885号ですが、更に改造車や編入車には続番が付され、最終番号は877号になります。

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スハ32 853
樺太鉄道向けに製造された同形式車が5両ありましたが、結局送られることなく国鉄の所属となり869~873号となっています。

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スハ32 854
丸屋根が特徴のスハ32ですが、戦災復旧車である876号と877号は折妻となった異色車でした。

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スハフ32 382(←スハフ34683)
二重屋根車が105両、丸屋根車が311両の合計416両が製造されました。やはり日中戦争時に7両が華中鉄道へ送られました。最終番号は416から7を引いた409号です。

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オハ35 828
700号以降は戦後の製造になります。
828号はキノコ折妻、鋼板屋根。下の1135号は絞り折妻の鋼板屋根。台車は共にTR34。

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オハ35 1135

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オハフ33 326
346号までの戦前製のグループで、丸屋根とTR23の台車は戦前製の特徴になります。325号以降は旧称を持ちません。

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オハフ33 435
キノコ切妻と鋼板屋根。出入扉が交換されています。そのHゴムの窓は縦長となって、立ち客にとっては車窓が見やすくなりましたが、雰囲気はアレですね。
戦後製は347~606号までの260両になります。しかし、他形式からの編入車が123両もあります。その中でもユニークなのがスハ42の緩急車であるスハフ41で、製造後わずか1年ほどで20両全てが台車を振り替えてオハフ33になりました。スハフ41の写真なんてこの世にあるのでしょうか。

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オハフ33 1547(←オハ35 735)
1500番代はTR34を履くオハ35からの緩急車化改造車で68両が存在しました。TR23を履いたオハ35からの改造車は1000番代で、33両ありました。

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オハフ33 1564(←オハ35 721)
洗面所の窓が、上の1547号とは異なります。

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オハ36 502(←オハ36 116←スハ42 116)
オハ36は外観こそスハ42そのものですが、近代化改装で軽くなったので別形式になってしまいました。サッシ窓と青い車体がスハ42との相違点でしょうか。

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スハ43 710(←スハ43 510←スハ43 287)

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オハフ46 501(←オハフ46 1←オハ47 8←スハ43 647)
オハフ46は全てオハ47を緩急車化改造した形式です。そのオハ47はスハ43の台車を振り替えた形式です。で、オハ46という形式もありますが、これはスハ43を徹底的に軽量化を図った仕様車です。オハ47、オハフ46に新製車はなく、オハ46、オハフ45は新製車と編入車になります。あ~ややこしい。

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マニ36 2037(←スロフ43 2001←スロ43 2026←オロ35 26←スロ30875)

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マニ50 2123

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マニ50 2152

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オユ10 2536(←オユ10 2505)
冷房化して改番。2500番代は電暖付きの北海道仕様車。

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スユニ61 513(←オハニ61 127←スハニ61 127←ナハ23004)
500番代はオハニ61の他、スハニ62からも改造された北海道仕様車です。
客室だった部分が郵便室になっています。

容量の小さな脳では客車の全容はさっぱり掴み切れません。

昭和55(1980)年5月10日