ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

久々の撮影は「ニセコエクスプレス」

友人が一緒に撮影に行こうと誘ってきたので、昨日はニセコ近辺で「ニセコエクスプレス」を撮影してきました。とはいっても、せっかくニセコくんだりまで行くのだから「ニセコエクスプレス」だけ撮影するなどという勿体ないことはしません。朝の6時半から普通列車もガンガン撮影し、また「ニセコエクスプレス」を追っかけ撮影すると普通列車を撮影できなくなるので、そんな追っかけはしませんでした。もともと「ニセコエクスプレス」を今頃やっきになって撮影する意欲はあまりありませんでしたしね。

ここではニセコ駅で撮影したものをちょっとだけアップします。
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2943Dと9224Dの行き違い
2943Dが少し遅れて到着。
結局、「ニセコエクスプレス」は連結器のカバーを付けないまま終焉を迎えるのでしょうか。

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9224Dが蘭越に向けて発車すると、保存車の9643が汽笛を吹鳴。かなり悲哀に満ちた弱弱しいものでした。

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その9643がこれ。苗穂のサッポロビール園から移設したものです。その理由や背景は分かりません。戦後、少ししてから日曹炭鉱に払い下げられた機関車で、山線とは縁もゆかりもなさそうです。車輪まで真っ黒に塗装されており、少々異様な感じがしました。本日、4日の「ニセコエクスプレス」ラストランの際に、ナンバープレートの取り付け儀式(テンダーとキャブの向こう側は取り付け済)が行われるようです。

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然別駅 9225D
帰宅途中、間に合ってしまったので、駅の通過を撮影しました。こんな場所でも写真撮影をしている人がいましたが、どういう風に撮ったのでしょう。

最後に乗車したのはもう20年近くも前になります。札幌→ニセコ新千歳空港→札幌と乗車し、車内や展望の撮影を楽しみました。その頃、「フラノエクスプレス」が引退し、ラストランを札幌駅で迎え撮った時にはカメラの放列ができましたが、その後に到着した「ニセコエクスプレス」にカメラを向けたのは私と数人のファンだけでした。

平成29(2017)年11月3日

昼間の撮影は昨年の正月以来のことで、実に1年10か月ぶりでした。どんだけサボっているんでしょう。

ところで比羅夫トンネル付近で列車を待っている時、カメムシがわんさか出没し、車や衣服にへばりついてきました。友人は、耳の後ろに着いた虫がカメムシとは気づかずに手で払ってしまってから「くっせ~!」と叫びながら、慌ててウェットティッシュで指や耳の後ろを拭いていました。しばらく拭いてから私に「臭くないかい」と指や頭を差し出しましたが、何かの臭いはするのだけれど臭くはありません。友人にしてみれば臭さが残っているというのですが。その後も友人は選挙カー並みに「臭い臭い」を連呼しますが、どうも私には臭いとは感じられません。そのうち、私の首筋にも何やら虫が着いて、タオルで払おうとしますが、どうも衣服の中に落ちてしまったようです。その時、何かほのかな臭いがして、それが友人が差し出した指などと同じ臭いなのですが、やはり臭くはないのです。強いて例えれば、ポマードで髪の毛をテカテカにしたおっさんの加齢臭といったようなイメージでしょうか。帰宅してから着替えたら、カメムシの死骸が床に落ちました。やっぱり全然臭くないさ。ってことは、車内で始終私の首元からはカメムシ臭が発散されていたように思うのですが、友人は何も言ってません。気を遣ったのでしょうか。今日はこれから別の友人宅に伺うので、そこで臭うかどうか聞いてみましょう。相当にしつこい臭いっていいますから。
世の中にはカメムシの臭い(におい)を臭い(くさい)を感じない人ってそれなりに居るようです。それよりか「臭」の読み方って難しいんだな。「幸子」を「さちこ」と読むか「ゆきこ」と読むかくらいに難しい。