ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

黄色く染まった函館駅

カラーネガの黄変写真です。しょんべん色に染まる若かりし春の思い出。臭いたつ、古き良き世に思い馳せ。

GWの帰省時、青函連絡船「十和田丸」(14:05着)を降り、函館から「北斗5号」(14:55発)に乗り換えるまでの乗り継ぎ時間に撮影したものです。

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急行「ニセコ」が停車中。でも番線が違うような気が。屋根の上には連絡船乗り場への連絡通路が載っています。

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愛称サボには「すずらん」と。二重国籍ならぬ二重愛称じゃ。どうらや14:02着の臨時急行「すずらん54号」のようです。1983年8月号の時刻表ではそうなっています。折り返し季節臨の「すずらん3号」(16:20発)となって札幌へ戻るものと思われますが、発車まで、まだだいぶ時間があります。東室蘭経由の「ニセコ」というのも面白そうですが。

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ヘッドマークがあれば特急っぽくも見えます。北海道には遂に客車の昼行特急列車は登場しませんでした。

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14:08、折り返し「北斗5号」となる「北斗4号」が到着します。自由席確保のため、「発車まで時間がございますので、駅待合室でお待ちください」の駅アナウンスは無視して、ホームに荷物を置いて並びます。荷物の上にはウォークマンを載せて生録中。

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こちらが正真正銘の急行「ニセコ」、「北斗5号」より23分早い14:32の発車です。でも終点札幌には「北斗5号」が51分も早く到着。

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すずらん」「北斗」「ニセコ」。すでに東京~札幌間は95%が航空機利用の時代でしたが、このシーンだけ見るとまだまだ鉄道は頑張っているようにも見えました。

昭和58(1983)年4月30日

友人に依頼されて、ここ2週間ほどビデオ編集に精を出しています。今日中には一通り編集が終わり、それからチェックと調整を行います。素材は、4人の鉄が10日間以上もかけて台湾で撮影した写真とビデオ映像なので、その量たるやかなりのボリュームです。作品主体ではなく思い出主体でまとめるため、どうしても長くせざるをえず、結局、4時間近くにもなってしまいました。4人ともブルーレイの再生環境を持っているので、仕上げはブルーレイのみ。DVDなら2層ディスクでも4時間の収録はかなり厳しいのですが(画質が低下)、ブルーレイなら楽勝です。しかし、ブルーレイに焼く前段階で、そのデータを書き出すまでの時間がかなりかかるため(数時間)、書き出し後に修正が出るととても残念な気持ちになります。修正に数分、再書き出しに数時間ですから。いよいよ終盤を迎え、新たなBGMが必要になり、今ネットで無料かつ書作権フリーのBGMを漁っているところです。